問題を分解して考える
仏教はお釈迦さまに発しましたが、長い歴史の蓄積によって諸仏(しょぶつ/たくさんの如来や菩薩、明王や天部といった存在)という考え方が錬り上げられました。たとえば、千日回峰行の行者を護って下さるのは不動明王ですが、根本をたどればお不動さんの正体は、大日如来です。お不動さんだけでなく、諸仏はすべて大日如来が姿を変えて現れたものだと考えられています。
すべての正体が大日如来なのであれば、なぜ諸仏という存在が必要とされるのでしょうか。大日如来が宇宙の中心なのであれば、大日如来だけを崇敬すれば「どんな問題も一挙に解決する」と考えるかたもいらっしゃるかもしれません。
けれど、現実はそれほど単純ではありません。大日如来に人智や万物を超越したお力があったとしても、私たち人間には、そのお力をひとりで一挙に受け止め切るほどの器はないからです。
「どんな問題も一挙に解決すること」ができないからこそ、私たち人間は数千年にわたって「大きな問題」を細かく切り分け、それぞれ順番に対処することで、歴史を紡いできました。あなたのお悩みについても、同じように考えてみては如何でしょうか。
寄せていただいた文面では、あなたが「担当している作業」と「ストレスを感じている事柄」が、ごちゃまぜの状態で、大きなひとつの塊になってしまっているように思われます。
どんな偉大な人物であっても、スイカを丸呑みすることはできません。まずは問題を切り分けることから始めましょう。