1960年代後半、ビートルズに何が起こったか

3年間に何が起こったか。駆け足で時系列的に追ってみよう。

『リボルバー』のレコーディングは1966年4〜6月。最初で最後となる日本公演の直前だ。既に前作『ラバー・ソウル』で、シタール導入や斬新なコード・ワークの使用など新しいトライアルを行なっていたビートルズ。

だが『リボルバー』での音楽的進化の度合いは、それまでの比では無かった。

そして同年10月の発売日を前に、トラブルばかりが続いていた世界各国でのライブ活動を停止。ファンや野次馬たちの喧騒から離れ、自由な時間を持てるようになった。

そこでメンバーたちはそれぞれに、音楽的にもプライベートでも、自分探しの旅を始めることになる。この時期にメンバーの結婚や婚約が相次いだり、新しいパートナーと出会ったのも、決して偶然ではないだろう。

思想家でアジテイター的側面もあるジョン・レノンと、真のメロディメーカー、ポール・マッカートニーという天才二人。そしてマスコット的存在のリンゴ・スター。その3人に囲まれたコモンマン、ジョージ・ハリスンが、グループ内で初めて大きな存在感を発揮したのが、インドへの傾倒だった。

映画『ヘルプ』の撮影で初めてシタールに触れたジョージは、名人ラヴィ・シャンカールに演奏法を習い、インドの精神世界にも惹かれて、ヒンドゥー教の流れを汲む超越瞑想の導師マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーに会う。

解散までの3年間になにが起きたのか。記録映画が語るビートルズの葛藤と音楽愛_3
マハリシ・マヘーシュ・ヨーギーとビートルズご一行。© B6B-II FILMS INC. 2020. All rights reserved

そしてジョンやポール、そのパートナーらを伴って、67年8月にロンドンで開催されたマハリシの講義に参加。

翌年2月には、メンバー4人が各パートナーを連れて、北インド・リシケシュにあるマハリシの僧院アシュラを訪れ、彼の教えに耳を傾けながら瞑想に耽る日々を送った。

解散までの3年間になにが起きたのか。記録映画が語るビートルズの葛藤と音楽愛_4
リシケシュにあるマハリシの僧院。© B6B-II FILMS INC. 2020. All rights reserved

世界中を飛び回り、熱狂的ファンに追い回されたことから一転、ゆったり流れる時間を過ごした彼らが、心身ともにリフレッシュできたのは間違いない。68年に発表された2枚組『ザ・ビートルズ(通称ホワイト・アルバム)』の収録曲の多くがここで書かれたことも、ファンならよく知るところだろう。