「過保護」か「放置」か…
二極化が進んでいる

本来、子供は学校や公園で不特定多数の人たちと出会い、時には衝突しながら人間関係を築く力を養っていく。困難に耐える力、自分の意思を持つ力、表現する力、異なるものを受け入れる力、それらが結実して「生きる力」となるのだ。

しかしながら、親が子供を取り巻く環境をきれいに整えすぎれば、子供はそうした力を育む機会を奪われてしまう。未就学児なら、「おとなしくて聞き分けのいい子」で通用するだろう。だが、年齢が上がって社会や人間関係が複雑になれば、たちまち現実の壁にぶつかり、簡単にくじけるか、逃げるかすることになる。

小学校で30年以上教鞭をとり、今はフリースクールで働く教員は言う。

「この20年くらいで子供たちの耐性がとても弱まったと感じています。親や大人がやさしすぎて、家庭でも外でも異質なものに揉まれた経験が乏しくなっていることが原因でしょう。厳しくすればいいというわけではありませんが、かといって過保護であればいいということではありません。過保護か放置か、二極化が進んでいるように感じます。

やさしくされすぎた子供は、小さなことに『圧』を感じ、運動会で転んだとか、給食に食べられないものが多いとか、友だちに嫌味を言われたといったことにショックを受け、学校に行けなくなってしまうことがあります。これは社会人の『新型うつ』の問題にも同じことが言えますね」

先日、私がフリースクールで出会った小学4年の少女と中学2年の少年も同じだった。

少女の方は幼い頃から両親に徹底的に甘やかされて育ってきた。そのため幼稚園でも親離れできず、ずっと親が横に付き添っていたそうだ。結局、母子分離できないまま小学生になり、授業の間もずっと親に付き添ってもらっていた。教室には親用の机が別に用意されていたという。だが、小学2年の時に活発でやんちゃな生徒とクラスが同じになったことで不安が増大し、夏休みを境に不登校になったという。