『攻殻機動隊』の“Web3.0”を描きたかった

前述した通り、『攻殻機動隊』はこれまでに多くのクリエイターが作品を手掛けているが、すべての作品には共通して絶対的なルールが存在する。

それは“ゴースト”だ。

“ゴースト”とは、個人の精神体を規定する単位として意味づけられている概念。ゴーストの喪失は死を意味するが、肉体が喪失しても別の肉体さえあればゴーストは生き続けることができる。このルールから可能な限り逸脱せずに、新しいシリーズを考えなければならない。

そんな中、神山監督が意識したことは「『攻殻機動隊』におけるWeb3.0」だった。

『攻殻機動隊 SAC_2045』神山健治のクリエイティブ思考「“今”と“身の回りにある現実”を相対化する」_2

「原作が描かれた1990年代や『S.A.C』シリーズを作っていた2000年代初頭と比較すると、インターネットに対する価値観が変わり始めています。
インターネットが登場した当時、“インターネットは自由を獲得できる空間だろう”と言われていたし、たしかにそれは獲得できました。
それにも関わらず、現実は全体主義に傾いています。個人は有り余る自由を与えられると、比較的不自由な方へ閉じこもってしまう傾向が見えてきたんです。

今作は、時代と共にさまざまな価値観が変化していく中、インターネットの行く末はどうなっていくのかを見つけていきたいと考え、つくり始めた作品です」

さらに『SAC_2045』を制作する上で「今作では新しい価値観を提言するのではなく、断言したかった」と神山監督。
それを断言するために大切にしてきた要素の1つに“納得感”があるという。

そこで導き出されたキーワードが“郷愁(ノスタルジー)”だった。

主人公・草薙素子率いる公安9課の敵として登場するポスト・ヒューマン(驚異的な知能と身体能力を持つ存在)の1人、シマムラタカシは“郷愁”によって人々を新たな世界へ導こうとしている。

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シマムラタカシ

「現状の自分に不満があって変わりたいと思う人たちへの精神カウンセリングの1つに、1番古い記憶を呼び起こす治療法があると言われています。
トラウマとかはわかりやすい例ですが、嫌な記憶だけではなく、実はよいと思っている記憶も、今の自分を作り上げる中で不必要になっている可能性があるんですよ」

いったいどういうことなのか、「泣いたらおもちゃを買ってもらった」という成功体験を例に挙げ、神山監督は説明する。
仕事で企画が通らないことに腹を立てたり泣いたりしてしまう人は、その成功体験が紐づいているのではないか、と。そんな古い記憶を“郷愁”と位置付け、自分を前に進めなくしてしまう要因の1つと考えたのだそうだ。

「“郷愁”を見つけ出し、それをリセットすることで、新しい価値観を受け入れられるようになるのではないかと思ったんです」

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『攻殻機動隊』シリーズに登場する人たちは皆、人間の脳とインターネットを直接接続した“電脳化”がなされている。シマムラタカシはインターネットを用いて“郷愁“をウイルスとして撒き、気づかないうちに人々への強制カウンセリングをしていた。

「こうありたい自分」が必ずしもよい自分であるわけじゃないということを一度体験させた上で、今生きていくために不要な要素をあぶり出す。不要な要素が0になった状態から次の世界へシフトさせていった。

そして、その次の世界を“N”と表現している。

今作で初登場するキャラクター江崎プリンは、“N”について「現実を生きながら、摩擦のないもう一つの現実を生きられるようになった世界」と説明しているが、神山監督曰く「“N”とは0になった世界のこと」と教えてくれた。

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江崎プリン

「見た人によって考え得る“N”でいいのですが、僕が描きたかったのは“一度0になった状態から次の世界へ誘われていきました”というストーリーだったんです。
視聴者は表面的なストーリーに付き合っていると、誰がどのタイミングで”N”になっているのかわからないはず」

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本作のタイトルであり、舞台ともなった2045年。アメリカのレイ・カーツワイル博士の「シンギュラリティ(技術的特異点)=AIなどの技術が人間より賢い知能を生み出す時点が2045年である」という説がある。

『SAC_2045』では、“N”に到達したこと=シンギュラリティの到達として描いた。そして、登場人物のほとんどが、気づかない内にシンギュラリティに到達している。

「新しい価値観が生まれても移行期を認識できないはず、という言葉があります。それは蛇口から水が出ることに何の違和感も抱かないことと同じだと思うんですよ。気づいた時には当たり前になっている。シンギュラリティも同じだろうと」

しかし、唯一1人だけ、作中で明確に“N”へと誘われた人物がいた。それが、公安9課メンバーの1人トグサだ。

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トグサ

『SAC_2045』シーズン1のラストでシマムラタカシに誘われ行方不明になったトグサ。
シーズン2で再登場した際には、自身の古い記憶を見る。そして、「生きてるってだけでこんなにも世界は美しいのか……」という言葉を発する。

「トグサは正義のためなら死もいとわない人間です。それは彼のよいところでもありますが、少佐(草薙素子)から言わせると、“未成熟な人間の特徴は理想のために高貴な死を選ぼうとする点にある”と(笑)。その弱点を“郷愁”により克服させ、“N”になっていたわけです」