謎の放火事件と転落死

報告書が日の目を見る前後、旧統一教会の抵抗によってフレイザー委員会はさまざまな障害や困難に直面した。

教会古参幹部で文鮮明の特別補佐兼通訳をつとめた朴普煕は召喚され、証言席でフレイザー委員長を共産主義ソビエトの代理人と面罵し、同委員長とスタッフに対して3千万ドルの名誉毀損訴訟を起こした(後に取り下げ)。

また、78年の中間選挙時には信者らによるフレイザー議員の選挙活動の妨害工作もあった。その影響もあってか、フレイザー議員は落選し、さらに自宅が犯人不明の謎の放火にあっている。

さらに84年には、委員会の主席調査スタッフだったR.ボッチャー氏(当時44歳)がニューヨークのアパート屋上から謎の転落死を遂げるということもあった。

日本での聞き取り調査も順調ではなかった。報告書によれば、フレイザー委員会には複数の国会議員をはじめ、多くの日本人から「調査は日米関係も視野に入れて広範に調査すべき」との要望が寄せられていたという。

そこで委員会としては権限を越えることになるとしながらも、スタッフが韓国での調査を終えた後に日本に立ち寄り、証言したいとする5人~10人ほどの日本人、韓国人に聞き取りをする準備を進めた。

しかし、この調査は実現しなかった。日本政府当局がフレイザー委員会に非協力的で、委員会スタッフのビザ発給条件として「面接対象は米国人にかぎる」という制約を課したためだった。