選手を取り残さないために

――大学の駅伝部では、入部したものの指導方針と合わずに、苦しむ学生もいます。実業団のように移籍ができない中、神奈川大ではどのように対応しているのでしょうか。

「もちろん各ラインの選手とコーチの意見が合わなかったりする場合があります。その場合、どのラインの練習をするべきか、どのコーチの指示を仰ぐべきか等々、意見交換します。そして選手とコーチの納得の上で柔軟に、横断的に練習を進めていくことを各コーチも了承しています。

それによって選手が救われるのであればそれに越したことはない。今や学生の勉強も個人指導がメインになっていることを考えれば、スポーツ界にもその側面が大きくなってくるのは当然だと思います」

――選手を尊重する指導は、甘えを生む構造があるとも言われています。

「確かにそういう心配はありますが、選手による意思表示も、勝手な解釈(気まぐれ、自分勝手、我儘)と、責任ある意思決定に基づく行動、との違いについては指導や説明をしています。ただ、そんな中でも伸び悩む選手、燻る選手は少なからず出てきます。

各都道府県でそれなりに鳴らした多くの高校生が箱根を目指して関東の大学に入学してきます。彼らは一人ひとり様々な期待を背負っています。練習で無理をして4年間、鳴かず飛ばず、大学に来た意味すらも分からなくなってしまった選手が増えるよりは、デメリットに目をつぶりつつ、選手の意思を尊重して指導するのが良いのかもしれません」

「勝ちたい」と「勝たせてやりたい」の違い

選手の能力が一律に高ければ部内の競争意識を高め、同じ練習メニューを提供していく中で生き残った者が箱根を走る権利を得るような指導も可能だ。だが、神奈川大の場合は、選手の能力にバラつきがあるので、その指導では立ち行かない。ひとりひとり効率よく伸ばしていかなければならないが、すぐに開花するわけではない。「3年間ダメでも4年目で箱根を走れる土俵に上がってくればいい」というのが大後監督の考えだ。

――個へのシフトは、大後監督自身の心境や意識の変化も影響しているのでしょうか。

「指導者の役割は、選手が成長出来るように、強くなるように、成果が出るように、サポートすることです。しかしながら私も駆け出しの指導者のころは、自分が勝ちたい気持ちが強かった。勝って名乗りを上げたい。そうなると、なんで言う事を聞かないんだ、なんで俺のやり方を無視するんだ、とか、負の気持ちがもたげてきて、ストレスになる。チームの雰囲気も良くない。

いつの頃からか、勝ちたい、から、勝たせてやりたい、という心境になった時、指導が変わってきたと思います。選手の言葉に耳を傾けて、指導が丁寧になって、それが個の指導へと流れていったのだと思います」

大後監督は、夏の甲子園で優勝した仙台育成の須江監督の考え方に感銘を受けたという。
「勝ちたいと、勝たせてやりたい、の大きな違いを早い時期からよく体得しており、それを体現したことが素晴らしい」と語る。

――大後監督が指導する上での信念は、何なのでしょうか。

「シンプルですよ。指導者のアプローチが選手の成長に寄与しているか。そして選手の幸せに繋がっているか。常にこのことを考えて、決断しています。そして選手には、『学生アスリートとしての活動が、社会とどの様な繋がりがあるのかを常に意識しなければならない』と伝えています」

大後監督は、競技に対して迷いがある選手には「今の環境は当たり前じゃない。今を疎かにするのではなく、先のことを考えるからこそ、今を全力で取り組むべきだ」と、伝えている。ただ、競技をやめる時期は必ず来る。その時の自分に向き合う覚悟が出来る人間でいて欲しいと、願っている。

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取材・文/佐藤俊