チーム改革で直面した壁

神奈川大学駅伝チームの大後栄治監督は、2年前にチーム改革を断行した。
それが「全体主義」から「個人主義」への転換だ。その結果、チーム内にはポジティブな効果が表れているという。
大後監督は、なぜ個人のオーダーメニューを重視し、個人主義へと切り替えたのか。

――チームの方針を全体主義から個人主義へと転換されたのは、どういう理由からだったのですか。

「主義と言うほど大げさではないのですが、私が神奈川大学に就任した頃(89年)は、チーム全体の底上げをするために、主力選手の練習を少々抑えて全体のレベルを上げていくという練習方法でした。主力選手には物足りなさがあったと思いますが、結果選手層は厚くなりました。

この方法ではエース級の選手が育ち難い要素はあります。しかし、当時は昨今のような高速駅伝ではなく、スタミナと安定感で十分、戦えていたと思います。その結果、96年、97年と箱根駅伝で連覇をすることができました。

その後、本学に対抗する様に、大八木弘明監督が率いる駒澤大学などが、逆にエース級を育成して駅伝を戦う方針に変化していきました。それ以降は本学も、スピードに乗り遅れる駅伝レースが続き、苦しい時期がありました。金太郎飴のようなチーム構成では高速駅伝に通用しないことが如実に表れていたと思います。その頃からでしょうか、個のストロングポイントを尊重して戦える選手を育成していかないとダメだなって思い始めたのは」

――その時、すぐに個人主義にシフトしなかったのは、何か理由があったのですか。

「例えば40名の部員が在籍するとします。個々に体質的な特徴、技術、生理学的機能が違う。合理的に練習を進めていくためには、選手個々人と毎日向き合い、面談し、40名分の練習方法を用意、提示する必要があります。

これに対応するためには、複数のスタッフが必要になってきます。しかしながら、スタッフは誰でもいいというわけではない。神奈川大学の精神文化や理念、環境などを理解して、共有していけるスタッフでないと上手く回りません。個にシフトするためには、信頼できるコーチングスタッフをいかにして構築するのか。これは簡単ではありません。大きな壁になっていました」

――その壁をどのように乗り越えたのですか。

「時間をかけるしかありませんでした。本学で進めていきたい練習の考えや方法論の情報提供を粘り強く発信し、共有出来るスタッフに就任してもらいました。現在、現場コーチは私を含めて4名、スカウト担当2名の6名で動いています(その他、大学職員のマネジメントコーチが1名)。

現場コーチの2名は本学の卒業生(中野剛、市川大輔、両コーチ)です。それぞれがチームのことを良く理解してくれています。現場コーチの一人であるストレングスコーチの松永(道敬)とは25年来の付き合いがありますし、コーチの中野剛は実業団チームでの監督キャリアがあり、オリンピック選手を育成した指導実績があります」