おどっぱす(お転婆)な少女
フサノは勉強もできたが、おどっぱすでも有名だった。この土地の方言でお転婆、跳ね返りといった意味だが、フサノは喧嘩でも男に負けた事がないのが自慢だった。
二見村には君が渕とおちか渕という二見川の渕がある。両方とも悲しい恋物語の中で身を投じた若い娘の名前を取ったもので、君が渕が村の子供たちの遊び場となっていた。君が渕の上には大きな岩が張りだしていて、そこから子供達は渕めがけて飛び込んだ。もちろん、いつも先頭で飛び込むのはフサノだった。
背中のトジュをあやしながらとはいえ、フサノは勉強が楽しくて仕方なかった。教わるものは何でも吸収できた。だから女学校に行きたいと思っていた。しかし、それは叶わぬ夢だともわかっていた。漠然とした不安も感じていた。
村の娘たちの多くと同じように紡績工場の女工に行くか、もしかしたら姉のミシのように芸者にされるかもしれない。それでもフサノは、どんな境遇に置かれようとも、いつか必ず高等女学校で勉強するのだと心を決めていた。そんなある日、母ミセの弟・本村末廣(すえひろ)がブラジルに移民するにあたり、家族に加えられることになったのだった。
末廣はミセの十歳下の弟で一九八七(明治二十)年生まれ。父・壽作が開いた八代郡郡築村の干拓地に家を建てて暮らしていた。家は球磨川の河口の近くにあり、末廣は貧しさとは無縁だったが、一旗揚げるつもりでブラジルへの渡航を思い立った。三十歳だった。移民会社の募集広告はコーヒーを「金のなる木」と呼んで人々の射幸心を煽っていた。
このころのブラジル移民は、労働力確保を目的としており、三人以上の家族構成が条件とされていた。子どものいない末廣夫婦だけでは移住の許可が下りない。それでフサノを養女に、と末廣がミセに頼み込んだのだ。出発前に八代の写真館で撮った写真には、叔父の本村末廣と妻ツノ、そしてフサノが写っている。
ツノは末廣と同じ郡築村の八永(はちなが)家の出で、三歳年下。二カ月前に祝言を挙げたばかりだった。三人とも和服姿で、末廣とツノは紋付き、フサノはしわを伸ばした木綿の袷(あわせ)を着ている。
ツノの髪型は日露戦争に勝利した直後に流行った「二百三高地」。フサノはひっつめた髪を後ろに束ね、色白の地肌がわからないほど日焼けした田舎娘の風貌をしている。隣に座るツノよりひとまわり以上も小柄で、いたいけな子どもだとわかる。緊張した面持ちは、見る者の胸を詰まらせる。
一切日本服を持参すべからず
末廣たち三人は、神戸のメリケン波止場近くに建ち並ぶ木造二階建ての移民宿に入り、自分たちを乗せてブラジルのサントス港に向かう移民船・若狭丸に乗船する日を待った。移民宿は働き盛りの男たちと、その半分ほどの人数の女たちでごった返し、男たちが発散する精気と絶え間なく人が出入りする便所の臭気が混じり合い、そのすえた臭いで息苦しくなるようだった。
メリケン波止場一帯には数十軒の移民宿がひしめいていた。一九〇八(明治四十一)年、第一回移民が笠戸丸で出港することが知れると、移民宿の建築ラッシュが始まった。笠戸丸の移民は七百八十一人だったが、その後、一隻当たりの移民は千人単位となり、その数倍の見送りの家族や縁者が利用することで移民宿は活況を呈した。
移民宿は一人一泊五十銭。出港まで家族単位で一週間平均は逗留するから、千二百人の移民を乗せたフサノたちの若狭丸の場合、見送りを含めて五千円とか七千円といった大金が一帯の移民宿に落ちることになる。巡査の初任給が十二円の頃だから、莫大な金額である。
移民会社のほうも好調で、一九〇〇年代に入る頃には、移民会社は六十社近くにのぼった。移民からの送金は日本の国内経済を支える貴重な外貨だったし、仮に移民が送金できないほど困窮していたとしても、口減らしの役には立っていた。最大の移民会社である皇国殖民会社の事務所は吉野ホテルにあり、芸者を上げてのどんちゃん騒ぎも連夜のことだった。移民周旋人が移民を騙してなけなしの金を巻き上げる悪辣な詐欺行為も横行していた。
出港を待つ間にフサノたちは神戸の街で洋服と靴、帽子を買った。『渡航者心得』に「一切日本服を持参すべからず」とあったからだ。船内はともかく、サントスに入港するときには洋服姿でなければならない。
叔父の末廣は三人それぞれが身の回りの品を入れる信玄袋を三つ、毛布を一枚ずつ、手ぬぐい、それに自分用の中古の背広と頑丈な編み上げ靴、ワイシャツ、ネクタイ、メリヤスの下着類と靴下を買い込んだ。末廣の妻のツノとフサノはブラウスとロングスカート、帽子、長靴下、女物の編み上げ靴を仕入れた。宿で試着してみると自分が外国人にでもなったように思われたが、似合っているかどうかなどわかろうはずもなかった。
フサノたちが乗ることになった日本郵船の若狭丸は、最初の移民船・笠戸丸から数えて九回目の船だった。若狭丸にとって三回目のブラジル行きは四月二十日出港と決まった。
文/小川和久