日本人をトリコにしたフィービー・ケイツ
「ロードショー」の表紙は人気のバロメーターだ。読者人気が高ければ、登場回数が多くなるのは当然だ。だが、1972年の創刊以来、オードリー・ヘプバーンやカトリーヌ・ドヌーヴ、テイタム・オニールに至るまで、たとえどれだけ人気があっても1年あたりの表紙起用は2度までだった。偏りがないように編集部が心がけていたのか、3度起用に値するほどの人気者が存在しなかったのかどうかは分からないが、暗黙のルールが存在したのである。
だが、1979年に『チャーリーズ・エンジェル』(1976~81)のシェリル・ラッドが3度登場すると、『青い珊瑚礁』(1980)のブルック・シールズも1982年に3度登場し、ルールがあっさり書き換えられたのだ。
そして、1983年に前人未踏の年4回を達成するスターが誕生する。前年にロードショー・デビューを飾ったばかりのフィービー・ケイツだ。この年の公開作は青春映画『プライベート・スクール』(1983)たった1本しかないのに、1月号、4月号、7月号、12月号で表紙に起用。さらに、「ロス独占特写!フィービー・ケイツ 魅惑カラーPHOTO」(2月号)カラー特写(3月号)といった特集が展開されており、「ロードショー」が見つけたニューアイドルと言えよう。
意外なことに、この年のシネマ大賞女優賞はフィービー・ケイツではなく、11月号表紙に起用されたジェニファー・ビールスだ。『フラッシュダンス』(1983)が夏に日本公開されると、「ジェニファー・ビールスの魅力」(9月号)「ジェニファー・ビールス来日大フィーバー」(10月号)「密着取材ジェニファー・ビールス自分流ライフ」(12月号)といった特集を展開。ちなみに、11月号の付録のひとつは「ニューアイドル2キュートマガジン ジェニファー・ビールス、フィービー・ケイツ」。ジェニファー・ビールスをフィービー・ケイツに並ぶ人気アイドルにしようという編集部の狙いが見える。
ちなみに、子役時代のドリュー・バリモアとジェシカ・ラング(『トッツィー』1982)も1983年に初登場している。