スピルバーグが続編を断念したワケ

映画に関しては、配給収入96.2億円という大記録を達成した『E.T.』(1982)が大きくフィーチャーされている。「E.T.のすべて 超ワイド大特集」(1月号)「E.T.ワイド総特集」(2月号)「E.T.超フィーバー徹底リサーチ」(3月号)と特集を展開。そのピークはやはり、ドリュー・バリモアとE.T.を表紙にした2月号だろう。ちなみにこの号は「ロードショー」の足かけ37年の歴史で最高発行部数35万5000部を記録している。

史上初! 年4回カバーを飾ったフィービー・ケイツ。そして幻に終わった『E.T.』続編とは!?_02
7月号/フィービー・ケイツ 8月号/テイタム・オニール 9月号/ジェシカ・ラング※初登場 10月号/ソフィー・マルソー 11月号/ジェニファー・ビールス※初登場 12月号/フィービー・ケイツ
©ロードショー1983年/集英社

その後は大ヒット・シリーズ第3弾『スター・ウォーズ ジェダイの復讐』(1983)一色になる。カラー特集を5月号から3か月連続で展開したのち、「『スター・ウォーズ ジェダイの復讐』超ワイド特集」(8月号)「『スター・ウォーズ ジェダイの復讐』総特集」(9月号)「『スター・ウォーズ ジェダイの復讐』大特集」(10月号)と、よくもまあネタがあったものだと感心するほど、特集を組んでいる。大ヒットシリーズの第3弾で、しかも当時は最終作と思われていたから、当然のことかもしれない。

ちなみに『スター・ウォーズ』はこの3部作の後、1999年の『スター・ウォーズ エピソード1 ファントム・メナス』から前日譚である新3部作が作られて、2012年のディズニーによるルーカスフィルムを買収にきっかけに、いまでは続編、スピンオフドラマなど大量生産されている。

その一方、『E.T.』は世界歴代興行成績第1位(当時)というとんでもない大ヒットを飛ばしたにもかかわらず、続編が作られていない。それは、スティーヴン・スピルバーグ監督が頑なに”続編”製作を拒んだからと言われているが、厳密には違う。実際、出世作『ジョーズ』(1975)の続編製作を許しているし、『E.T.』が生まれたのも、『未知との遭遇』(1977)の続編企画が頓挫したことがきっかけだ。『ジュラシック・パークIII』(2001)以降に制作総指揮として関わっていることからも明らかなように、続編製作に否定的なわけではない。

実際、スピルバーグ監督は『E.T.』の脚本家メリッサ・マシスンと共同で、10ページにも及ぶ続編のあらすじを執筆している。だが、『E.T. II: Nocturnal Fears(仮題)』とのタイトルがつけられたこの作品は、邪悪なエイリアンにさらわれたエリオットと仲間たちが、E.T.に助けを求めるというトンデモストーリーで、『E.T.』の対極にあるダークな方向を目指していた。幸い、理性を取り戻したスピルバーグ監督は、続編は「オリジナルから処女性を奪うだけだ」と悟り、企画をボツにしたのだ。