『エレファント・マン』のヒットは日本だけ!?
映画に目に向けると、『007 ユア・アイズ・オンリー』や『マッドマックス2』(1981)などのヒット作のなかに、『エレファント・マン』(1980)が紛れていることに気付く。4月号で初紹介されたのち、「『エレファント・マン』大ヒットの秘密」(8月号)「素顔の『エレファント・マン』ジョン・ハート」(9月号)「総決算!『エレファント・マン』」(10月号)「『エレファント・マン』の休日」(11月号)と特集が組まれている。
この状況は、当時をよく知らない筆者からすると違和感しかない。奇才デヴィッド・リンチ監督のあのマニアックな作品を、一般向けの映画誌が頻繁に特集しているのだから。
だが、配給収入をみると、その理由がわかる。『エレファント・マン』はなんと24億5000万円で、1982年の年間ランキングで第1位に輝いているのだ。製作費500万ドルの低予算映画『エレファント・マン』のアメリカ興行収入はboxofficemojoによると2600万ドル。日本の24億5000万円は配給収入なので、興行収入に換算するとおよそその倍になる。つまり、『エレファント・マン』は日本で突出した好成績を叩きだしていたのだ。
この現象は1975年の『エマニエル夫人』と同じだ。いずれも比較的低予算で、他の映画市場ではそこそこの成績だったにもかかわらず、日本だけで大ヒットしている。まさに映画版「ビッグ・イン・ジャパン」である。
『エマニエル夫人』は日本ヘラルドが女性のための官能映画として宣伝し、『エレファント・マン』は東宝東和が感動のヒューマンドラマとして売っていた。これら独立系配給会社の宣伝マンたちの存在が、その成功の裏にある。大スタジオ製作ではない個性的作品を買い付け、彼らの創意工夫と熱量で日本人のメンタリティや当時のムードにあった宣伝を展開する。宣伝マンたちと親しく付き合っていたロードショーは、作品やスターの特集記事で貢献した。そうして生まれる独自のうねりの中心に位置していたのだ。