本人にも評価されたブリジット・リンの本
LAからはるばる香港までいかなくても、香港映画スターたちがハリウッド映画に出演するようになった。ジャッキーは『レッド・ブロンクス』(1995)で全米興行収入ベスト・ワンに輝いて、ついにハリウッドも彼を認めざるをえなくなった。「保険屋がうるさくて、アクション・スタントを全然やらせてもらえない」と不満そうにしながら、ヒット作を連発。彼の兄貴分のサモ・ハン・キンポーもテレビドラマ『LA捜査線/マーシャル・ロー』(1998~2000)に主演した。
そしてジェット・リー。『リーサル・ウェポン4』(1998)でまさかの悪役デビューとは意外だった。インタビューでどうして英語名が“ジェット”なの?と不躾な質問をしたら「何故って、僕の名前はリー・レェンジェだもの。ジェに近いのはジェットだろ?」と言われて納得した。
マレーシア出身のミシェル・ヨーは中華系ではあるけれどロンドンにバレエ留学したこともあり、キレのあるアクションが特徴の女優さん。多分ジャッキーに次いでハリウッドでもっとも成功しているアジア人スターだろう。『007 トゥモロー・ネバー・ダイ』(1997)で主役のボンドを食ってしまう大活躍だった。彼女は「香港では漢字が読めないし、広東語もあまりできなかったので、口移しでセリフを覚えていたの。今は(英語なので)脚本がわかるところはいいわね」と話していた。今年になって、念願のハリウッド主演映画『Everything Everywhere All at Once』が大ヒットして良かったなぁと思う。
H氏のおかげで香港映画に深く関わることができた私の集大成は、ブリジット・リンの本を自費出版したことだ。ブリジット・リンは日本では一般的な知名度はあまりないが、海外の香港映画ファンなら誰でも知っている台湾出身の美人女優さんだ。彼女と、彼女に関わったツイ・ハーク監督など、香港/台湾の映画人や友人などにインタビューしたものをまとめた本を出版するまでに7年くらいかかった。海外のファンのために英語で書いたところ、のちに台湾と中国でも中国語版が出版された。2018年の香港国際映画祭で彼女がフォーカスされたとき、資料として私の本も使われたと知り、苦労した甲斐があったなぁ、と感慨深かった。
札幌からいきなり LAに行って映画の取材ができるようになり、ハリウッド・スターたちがこぞって来日するようになると、今度は香港映画に熱が入って香港通い、と私の人生はなりゆき任せのように思える。いやー、それはLAで仕事を長くしてきたからの結果で、地球は丸く、世界はつながっているということだ。