【林遣都】『美丘-君がいた日々-』(2010年/日本テレビ系)

『美丘』の原作者は、人気小説家の石田衣良。2000年代、『世界の中心で、愛をさけぶ』から巻き起こった純愛ブームの後期を飾る1本で、難病と闘う女子大生・峰岸美丘を吉高由里子が演じている。

林遣都が演じるのは、美丘と恋におちる大学生・橋本太一。2007年、映画『バッテリー』で主演デビューを果たした林にとって、連ドラは『小公女セイラ』(TBS系)に続く2本目だ。

ヒロインの美丘は、恋人がいる男を寝取っても、まるで悪びれない強心臓の持ち主。よく言えば天真爛漫。悪く言えば我儘で気分屋。そんな無鉄砲で無軌道な美丘の生き方に、太一は惹かれていく。ごく普通に生きてきて、まだ本気の恋も知らない太一にとって、美丘の生命力は嵐だった。突風に吹き飛ばされるように、心ごとさらわれてしまった。

けれど、太一はやがて知ることになる。美丘が現代の医学では治療できない難病に冒されていることを。こんなにも無邪気に笑い、激しく怒り、自由に生きる美丘がやがて自分の意志で体も動かせなくなり、記憶を失い、そして死んでしまうことを。『美丘』は、美丘と太一が過ごしたかけがえのない日々を描いたドラマだ。

当時の林遣都は19歳。無駄な贅肉がまったくついていない細身の体は、まだ少年の名残が強く残っている。シワもシミもないなめらかな白い肌に乗った大きな瞳は、ダイヤモンドの原石そのものだ。

あえてストレートに言うと、今やその変幻自在の演技力でどんな役にもなり変わる林だが、当時はまだそうした技巧よりも、存在感で勝負をしていた時期だと思う。汚れを知らぬ清廉さ。漫画の主人公を生き写したかのようなビジュアル。クリエイターたちの創作意欲を刺激する煌めきと翳りをその内側に共存させていた。この太一も、まさに10代の林遣都にしか出せない輝きがつまっている。

たとえば2話のラストシーン。自分が病に冒されていることを告白した美丘は、太一にキスをして、別れを告げる。幼い太一はただその背中を見送ることしかできない。このときの太一の面差しがトーマス・ローレンスの『ランプトン少年像』のように美しくて、胸が締めつけられる。この切なさは、技術だけでは到達し得ない。計算も駆け引きもなく、自分の持てるものを丸裸にして挑んだ結果、美しさと切なさが極めて高い融点で溶け合うような表情となっていた。

もちろん悲劇だけが、このドラマの核ではない。共に過ごした時間の幸福を知っているから、視聴者はやがて訪れる別れを思い、涙を流す。そういう意味では4話で美丘を見送る場面もたまらない。太一は「(また)明日」と手を振る。だけど、美丘は「聞こえない!」とあえて我儘を言う。それに対し、「え〜!」と照れたあと、太一は目尻を垂らして少し恥ずかしそうに横を向き、意を決して「また明日!」と大声を出す。この愛らしさは、思わず口から泡を吹くレベル。

そして、そんなふうに気の強そうな女の子に振り回されながらも幸せそうな男の子を、どこかの駅のホームで見た気がして。2人は決して悲劇を生きていたんじゃない、私たちと地続きの日常を生きていたことに気づいて泣けてくる。今日の演技に続く実在感の片鱗を、このとき、林遣都は確かに見せていた。

物語は終盤に近づくにつれて深刻さを増していく。だが、美丘と太一が過ごした日々はきっとあなたにとっても大切な時間になるはずだ。