今村翔吾はすでに
一つの塔になっている
今村 でも、なんだかヘンな感じですね。中学校のときに、柴錬賞をとられた『破軍の星』を初めて読んで、めちゃくちゃおもろいと思って、それ以後「太平記」シリーズを全部読み漁って、そこから、「おー、水滸伝、やるんやあ」みたいな感じで、ずっと北方先生の作品を読み続けてきたわけですから、その先生とこうして面と向かって話しているのがいまだにとても不思議な感じです。
北方 いやいや、もう商売敵どころか、君は俺より上に行っちゃってるじゃないか。
今村 そんなことないですよ!!
北方 だって、現在的な意味では、今村翔吾ってのはすでに一つの塔になっている。まあ、それがどこまで続くかはわからないよ。俺はここまで続けてきたけど、あなたがどこまで続くかはわからない。それに砂上の楼閣って言葉もあるけどね。
今村 えー、「塔になっている」ってところで、一回切っといてくださいよ(笑)。だけど、ほんとに続くってことが大切なんだろうと思うし、どこまでやれるかっていうか、やらないかんのかなって。
北方 俺もあなたも書くことが好きなんだよ。一枚一枚書くのは苦しいよ。だけど全体的に見ると、書いてること、書けてること自体が喜びなんだ。だいたい、好きなことを商売にしてお金もいただけるってのは、とってもいいことですよ。
今村 そうなんです。日々の中では、あと一枚、二枚書かないかんっていうのが、キツイときもある。ただ、じゃあ書くことやめてるんかっていったら、やめてない。酔っぱらっても一枚でも一行でも書けっていう北方先生の教えがあるから。
北方 そんなこといった?
今村 いいましたよ! 北方先生が、一日でも書かんかったら三日後退するとおっしゃってたから、それを肝に銘じて、めっちゃしんどくても書きますよ、ちょっとでも。
北方 それをやるかやらないかが、どのくらい大事かはわからない。現実問題としては、やらなくてもいいかもしれない。だけど、やらなければ不安になる。
今村 ぼくも不安があります。先に図らずも砂上の楼閣っておっしゃいましたが、仮にいま自分が一つの塔になっていたとして、この先何年も雨風にさらされても保つものなのかそうじゃないのか、自分自身もいまひとつわかってない。それは、あるところまで行かないとたぶんわからないだろうし、その不安があるからこそ書き続けていくことで、その塔が強くなっていくのだろうと……。
小説は、心が動いて
ダイナミックになる
今村 先ほど、意図しすぎたらダメで「書けてしまった」ってのが一番いいんだとおっしゃいましたが、その感覚はいまもありますか?
北方 ある。『大水滸伝』という長いシリーズをどうやって終わらせていいかわからなかったんだけど、『岳飛伝』の最後の巻のラストで、そばに来た侯真に「なにが見えますか?」って訊かれた史進が、「湖寨が」っていった瞬間に、「ああ終わった」と思った。あれもまさに書けてしまった台詞だね。
今村 デビュー五年で、まだシリーズを一つも終わらせたことがないんですけど、ぼくもそんな感じでシリーズを終わらせたいですね。
北方 俺だって、「ブラディ・ドール」シリーズでシリーズものを書き始めて、終えるのに十年かかった。まあ、そのほかに相当な量を書いてたけど、あのシリーズは年に一冊ずつ書いていたからね。
今村 シリーズものの終わりって、一つの作品を終わらすのと、ちょっとちゃうんですよね。北方先生の「太平記」シリーズにもいろんな人物が出てきますよね。たとえば北畠顕家だったら、『悪党の裔』にも出てくる。あれは『破軍の星』の顕家とおんなじ人間なんですか?
北方 状況が違うから、ちょっと違ったりする。あのときに頭の中にあったのは、後醍醐天皇を直接書かずに後醍醐天皇をどうやって描くかだった。で、周りの人間を描くことで後醍醐天皇がどういう人だったかを書こうとしたわけだけど、そうすると、いろんな人の要素が出てきて、書いていて面白かった。佐々木道誉なんて、めちゃめちゃ面白かった。
今村 『道誉なり』ですね。実は、この夏辺りから北方先生の書いておられた太平記の下の世代、楠木正行や後村上天皇のことを書こうと思ってるんです。
北方 ヘンなところに目をつけるよな。『塞王の楯』も、もうすぐ関ヶ原だぞと思いながら読んでいると、結局関ヶ原は出てこない。
今村 来週、関ヶ原みたいな感じです(笑)。
北方 だけど、そこで物語が成り立つというのが小説ですよ。それを成り立たせることができるのは、紛れもない物語作家だね。
今村 ほんまですか?
北方 凡百の小説は関ヶ原に行く。行かないとしょうがないと思って行くんだけど、それを行かなくてもいいと思い切る。その意味でも、あなたは物語の作家だね。観念の作家じゃない。
今村 自分の中でもまだまったくわかってないですし、綺麗ごというわけじゃないけど、ほんとにここから小説って何だろうって考えていかなあかんなと思ってます。直木賞をいただいたことで一つのチェックポイントっていうか、ようやく新人時代が終わったな、っていう感じで、次なにやろう、次どうしていこうというところです。
北方 『塞王の楯』は、戦線が膠着してるのにダイナミックなんだよね。何かといえば、京極の気持ちがどんどん動き、穴太衆の職人と国友衆の職人の気持ちがぶつかったりするところ。要は、実際に人が動いてダイナミックになるんじゃなくて、やっぱり心が動いてダイナミックになる。『チンギス紀』について、「舞台が広いですね」っていわれたことがあるけれど、どんなに広くたって、たかが地球ですよ。もっと他に無限の広さってのがある。どこかっていうと、人の心でしょ。
今村 宇宙みたいな外側のものと人間の内側のものって、イコールな気がするなあと、ぼんやりとは考えてたんです、ほんまに。ただ、うまいこと表現できひんなあと思ったけど、まさにいいたかったのはそれです。
北方 どんな広くたって、俺らが書いてる小説はしょせん地球だよ。
今村 この名言、聞けただけでも、今日はよかった(笑)。
北方 ともかく、ここまで来たら、物語の命運を背負って一生頑張るしかないでしょう。
今村 いやあ、こんな人生になるとは、ほんとに思わなかった。その要所要所で北方先生とお話しさせてもらっていますが、いつか自分も誰かにとって北方先生のような存在になりたいですね。物語と一緒で、意図せずに(笑)。
構成=増子信一/撮影=島袋智子
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