町に伝わってきた“子どもを犠牲にして楽園へ旅立つ”凄惨な儀式
この話には、ひとつの “いわく”が絡んでいます。
かつて、娘に過酷な儀式を代々課している、とある家系がありました。その家系の母親は娘に通常の名前と隠し名を名づけ、誕生祝にひとつの鏡台を買うことになっていました。
そして、娘が10歳になったときに爪を剥がさせ、その爪を鏡台の1番上の引き出しに隠し名の書いた半紙とともに納め、13歳では抜いた歯を2段目の引き出しに同じく名前の書いた半紙とともに納め、さらに16歳で娘の髪の毛のすべてを切って、それを鏡台の前で食べさせる、という凄惨なものでした。
この儀式は、母親が娘を呪物として用いることで、母親の魂を楽園、おそらくは天国のような場所へと向かわせることを目的としていました。この悪習は時代とともに廃れていき、儀式を残す数少ない一家でも、元々の儀式の意味は失われ、隠し名は母親の証として、鏡台は祝いの贈り物として受け継がれていくようになりました。しかし、この一家を悲劇が襲います。
一家の女性、八千代には貴子という娘がいました。娘を大切に育てていた八千代でしたが、ある日、貴子は爪を剥がされた上に片手首を切断され、さらに歯の一部を抜かれた無残な遺体となって、誕生祝の鏡台の前で見つかったのです。貴子が10歳のときでした。夫は姿を消し、八千代自身も、頭皮が剥がれ、片手首が切断された異常な亡骸で見つかりました。
八千代の両親は、断片的に伝え聞いた知識で“楽園”を目指そうとした夫が犯人だと考え、呪い殺したそうです。家は母娘の供養のために残されることになりましたが、老朽化を理由に町の人たちが別の場所に家を建て、八千代と貴子の鏡台を移し替えたということでした。
八千代の鏡台の1段目には爪、2段目には歯と八千代の隠し名である「紫逅」と書かれた紙が一緒に入っていました。娘・貴子の鏡台の1段目、2段目ともに貴子の隠し名である「禁后」と書かれた紙だけが入っていました。
そして、ふたつの鏡台の3段目には、ともに二人の手首がそれぞれ指を絡めあった状態で入れられていました。さらに鏡台の前には棒のようなものが立てかけており、そこに八千代と貴子の髪が剥ぎ取られた頭皮とともにかけられていました。
Aさんたちが目撃したのは、このふたつの鏡台だったのです。