ここは東京簡易裁判所墨田庁舎内にあるので、僕はてっきり検察官による取り調べがおこなわれると思っていたのだが、狭いブースでアクリル板越しに対面したのは、またもや警察官だった。
検察に送付する最終書類を作成すべく、警察による詳しい調書が取られるということだったのだ。
ネットで事前に調べたところ、被疑者(僕のことね)が自分の意見を述べる機会はこれが最後ということだったので、僕はA4用紙7枚綴りで、“意見書”を準備していた。
そこには、いかに今回の取り締まりが不当なものであり、自分がどのような意見を持っているかを、写真付きで詳細に記しておいた。
対応にあたった、僕と同じか少し上くらいの年齢に見えるベテラン警察官は、一見、強面風の人だった。
しかし彼は僕の話を親身になって聞き、非常に丁重かつソフトな対応をしてくれた。
そして準備した7枚綴りの“意見書”に目を通したあと、「こういうのをいただけるのはありがたいです。検察官に資料として渡しておきますからね」と言ってくれた。
事情聴取はこうして5分足らずで終了したのだが(まあ、それほどしょうもない違反ということ)、その後、僕は沈黙して20分以上も待たされることになった。
渡したA4サイズの書類が検察へ送付する書式の大きさには合わなかったらしく、ホチキスで留めた7枚は一旦バラバラにされ、一枚ずつ小さく畳まれていったのだが、その作業がバカくさいほど時間がかかるのだった。
言葉では説明できないのだが、畳み方は独特のもので、ベテラン警察官は定規を使い、時間をかけて一枚ずつ正確に慎重に、丁寧に黙々と紙を折っていく。
僕はただ、それを黙って見ていることしかできなかった。
なんだか本筋とは違うところで、大きな虚しさを感じてしまった。
役所仕事に生産性や効率を求めても仕方ないのかもしれないが、日進月歩で情報処理のスピードが上がっていく世間と、あまりにも乖離したアナログ作業だ。
それはまあいいとして、そんなこんなで手続きは終了。
ベテラン警察官によると、この件が起訴されて裁判になるか、あるいは不起訴となるかは、この後の検察に判断が委ねられる。
もし起訴となった場合は連絡がいくが、不起訴になった場合の連絡はない。
もし確かめたかったら、間違いなくこの件の処理が終了している3ヶ月後をめどに、検察に電話で尋ねればいいということだった。
最後に待っていた、最大級のストレスとは
果たして、それっきり連絡はこなかった。
不起訴になったのは確実、つまり言ってみれば僕の“勝利”なのでそのまま放っておいても良かったのだが、行きがかり上、最後までやらねばならぬ。
まあ、ネタにもなるし。
と思った僕は、最後の出頭からちょうど3ヶ月経過した2022年1月15日に、東京区検察庁道路交通部へ架電。
本件が最終的にどう処理されたのかを質問してみた。
そして本当に予想外だったのだが、僕はこの電話によって、今回の一連のいきさつの中でもっとも不快な思いをさせられることになった。