「遺族の気持ちを考えるとロシア語は使えない」
「ウクライナ語で話をしていたから、彼女の夫は殺された可能性があります」
4月下旬、ウクライナの首都キーウ近郊の街、ブチャを離れる際、通訳者のリュバさん(28歳)が車中で思い返したように言った。リュバさんが口にした「彼女」とは、ブチャの路上で出会ったイリナさん(48歳)のことだ。ロシア軍に街が占拠されていた3月上旬、イリナさんの自宅は砲撃を受けて粉々に破壊され、瓦礫の山と化していた。
その場には夫(40歳)と父(72歳)も一緒にいて、自宅に押し入ってきたチェチェン兵たちからはこんな尋問を受けた。
「ここにナショナリストはいるのか?」
イリナさんは否定したが、夫だけがチェチェン兵に頭部を撃ち抜かれ、殺害された。イリナさんはこう回想する。
「私はチェチェン兵とロシア語で話をしていましたが、夫はウクライナ語を使っていました」
リュバさんに言わせれば、これが殺害の動機になったのではないか、というのだ。
「ウクライナ語を使ったからナショナリストと思われたのかもしれません」
ウクライナ語かロシア語か––––。
ウクライナではウクライナ語を母語とする人が全体の7割、ロシア語を母語とする人が3割ほどいる。ポーランドやオーストリアの影響が強かった西部ではウクライナ語が優勢で、ロシアに近い東部や南部ではロシア語が優勢だ。
両語はスラブ語派に属し、文法や語彙に共通点は多い。だが、どちらか一方しか理解できないと、もう一方を完全に理解するのは難しいと言われる。