雑誌の巻末に綴ったコメント

そんなわけで話はまだまだ続くのであるが、この物語を33年にわたって描き続け、完成させることなく亡くなっていった三浦健太郎とはどんな人物だったのだろうか。

1966年7月11日生まれ。父親はCMの絵コンテを書く仕事をしており、母親は絵画教室の教師だった。三浦は絵画教室の片隅で絵を描いているうちに、漫画家になることを決意し、小学校低学年から漫画を描いていた。

プロを目指すために、美術学科のある高校を目指す。そこには同級生の森恒二(「ホーリーランド」「自殺島」)など多くの漫画家志願者がおり、切磋琢磨する。そして日大芸術学部在学中から「ベルセルク」を描き始めた。

友人たちの証言によれば、性格は温厚で社交的、特に森恒二とは親交が深く、多くの漫画は森と相談して作ったものであり、森の漫画もまたそうだったという。

三浦の死因となった急性大動脈解離は、心臓から出発し、お腹まで達する大きな血管である大動脈の壁が真ん中で剥がれる病気である。動脈硬化症から発展することが多く、原因には、食生活の乱れ、運動不足、ストレス、喫煙、飲酒、睡眠不足、等があるという。

三浦の雑誌の巻末コメントを見ると、次のような発言であふれていた。

この2か月で平均睡眠時間が4時間を切った。(1993年・23号)

引越し以来、平均睡眠時間が4時間を下回る。(1994年・16号)

俺の休みは2か月に半日。もう4年も2日続けて休んでない。そろそろあちこちガタがきてる。(2004年・23号)

過労でまた倒れた。(2005年・9号)

月に2回も風邪で倒れたのは生まれて初めてです。(2007年・5号)

毎年の事だけどクリスマスも正月もお仕事。たまにはおせちが食べたい。(1994年・3号)

ひと月半ぶりに休みがとれて外出したら熱射病にやられた!!(1995年・17号)

ひと月半で外出できたのはジョナサンでメシくった2時間だけ。プチひきこもり?(2001年・24号)

忙しくて1週間外出できず、もはやチョコレートは貴重な食料と化しております。ありがとうございました。(2006年・6号)

休載の間もずっと兵隊を描いてました。(2007年・3号)

俺の体の2/3はカロリーメイトで出来ている。・・・ということはベルセルクの2/3は大塚製薬の提供か?(2009年・19号)

どれもマンガ家の宿痾のようなものだ。三浦が本当にここから動脈硬化、急性大動脈解離に進んでいったのかどうかはわからないが、彼の場合、緻密な画風がこの傾向を強固にしたとは言えまいか。

マンガには魔力のようなものがあって、見るものも描く者もそれに引き付けられる。やがて描く者――それも一部の天才がその魔力に魅入られていく。そしていつか苦行僧のようにマンガに仕え、その果てに『ベルセルク』のような傑作を描く。

そんな漫画家の血肉をかけた作品を、私たち読者は楽しんでいるのだ。その死は、深く悼まれなければなるまい。