野生動物は敵か

日本におけるクマ問題の深刻さと、それにともなう「極端な世論」の発生に、もどかしさを感じずにいられないが、「クマなぞ絶滅してもいい」「クマのいるような所に住んでいる人間に問題がある」という一方的な声は、裏を返せばそれだけ現場に「実効性のある解決策が見えていない」という無力感や、もどかしさ、あるいは生活を脅かされている恐怖が根底にあるのかも知れない。

あるいはまた、そこで起きている事実関係よりも、自身が描く世界観を優先しているのかも知れない。いずれにしても基本的には正しい情報を共有できることがより重要であろう。

野生動物保護管理の現場では、「野生動物保護管理の9割は人間の管理にある」という言葉がある。専門的には「ヒューマン・ディメンション(Human Dimensions of Wildlife:野生動物保護管理の人間的側面)」と呼ばれている分野であるが、これが最もやっかいな問題でもある。この問題に悩まされてきたのは日本ばかりではない。

アメリカのモンタナ州ブラックフット川流域は、全米でも最もヒューマン・ディメンションの問題解決に成功した「合意形成」モデルとして知られている(Blackfoot Challenge:Daniel, et.al2012)。

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この地域では、クマによる家畜被害が多発し、農家と野生動物保護団体の間で激しい対立があった。その対立は、クマ類やオオカミをめぐる問題で、2006(平成18)年に軽井沢で「International Bear Conference(国際クマ会議)」が開催された時に、来日していたモンタナの関係者に「どうしてこのような大きな会議の席にアメリカの農家の方々やネイティブの方々を呼ばないのでしょうか」と尋ねた。

すると「そんなことしたら問題がより複雑になって大騒ぎになるだけだ。喧嘩になるだけだよ」と一笑されたことがあった。しかし、その後状況が変化し、地域の人々と研究者やガイドたちが議論を重ねて、地域住民を巻き込んだ議論へと深化させることができたという。

「クマは絶滅させるべきか、保護すべきか」という20パーセントの相容れないイデオロギー的な議論はあえて脇に置いて、その代わりに、「子供たちの通学路の安全を守る」「家畜の損失を減らす」という、誰もが反対できない80パーセントの共通目標にのみ集中した議論を重ねたというのだ。

政府や専門家が「クマを大事にしましょう」といっても、反発をかうだけであった。そこでは、影響力のある地元の牧場主が「電気柵を導入したら被害が減ったぞ。お前もやってみないか」と仲間に勧める手法を取った。