マタギが語った「クマは共喰いする」という衝撃の証言
まず、私がクマの肉食という話を初めて耳にしたのは、新潟県村上市の三面川上流、朝日連峰の山懐深くにあった三面集落(旧・新潟県岩船郡朝日村三面)でのことで、44年も昔のことであった。
「クマは共喰いするんさな。昔、オソなんていうクマを獲る罠があったんさ。大きな罠で2間四方もある罠だども、それに子グマなんかが掛かると、重しで上に乗せてあった石を全部掘り起こして、なかに掛かっている子グマを引っ張り出して喰ってるんさな。それに交尾期になれば、メスが子ども連れてるろ。その子どもをオスが喰ってしまうんさな。そして交尾するんさ」と、三面の山人は語っていた。
ここでいう「クマを獲る罠」というのは、現在では危険な罠として禁止されて久しい、東北・中部地方ではオソやヒラと呼ばれ、西日本ではヤマやオトシと呼ばれるツキノワグマやニホンカモシカを捕獲するために使用されていたものである。
この罠の話を聞くと何人もの山人の口からクマの共喰いという話が出た。さらに三面では、1982(昭和57)年4月に有害鳥獣駆除で捕獲されたツキノワグマの腸の内容物から、ニホンカモシカの体毛が出てきたのを見ている。
その2年後の1984(昭和59)年4月に、長野県下水内郡栄村秋山郷での春期予察駆除によるクマ猟の際、やはり捕獲したツキノワグマからニホンカモシカ、別の個体からはノウサギの体毛が腸の内部から塊で出てきたのを見ている。
このように私の個人的な経験でも昭和50年代のバブル期前夜にツキノワグマの肉食は確認されていたということである。
しかし、当時の猟師たちの受け止め方は二つに割れていた。それは屍肉あさりなのか、あるいは積極的な捕食による肉食なのかの違いであった。前者は雪崩などに巻き込まれて死んだカモシカの屍肉をあさっているに過ぎないというもので、後者はクマが待ち伏せなどをして積極的にカモシカを狩っているのだ、という見方であった。
結果的に両者ともに正しかったのであるが、当時はクマがカモシカを食べていることをどのように解釈するのか、それを決める決定打がなかった。つまり、捕獲したクマの胃や腸の内容物として確認されても、誰も捕食の現場を目撃できていなかったからだった。
クマが積極的にカモシカを狩るとするなら、どのような手法でクマはカモシカを捕らえるのか。瞬発力ではカモシカが勝り、持久力ではクマが勝る。クマがカモシカを追うのか、待ち伏せるのか、その詳細がわからなかったのである。













