2024年、僕たちはパリに行けなかった
ブ―――ッ……。試合終了のブザーが鳴ると同時に、パリパラリンピックへの道が完全に閉ざされた。
「やっぱり……このままでは絶対にダメだ……」
それまで漠然と感じていた危機感が逃れられない事実として突きつけられた瞬間だった。
2024年1月。7カ月後に控えた「パリ2024パラリンピック」への切符をかけ、僕たち車いすバスケットボール男子日本代表はアジアオセアニアチャンピオンシップス(AOC)が開催されるタイ・バンコクに乗り込んでいた。
優勝すればパリ出場が決まるが、その切符はわずか1枚。準優勝の場合はラストチャンスとなる3カ月後の世界最終予選には出場できるが、僕たちは「優勝して、ここでパリ行きを決める」ことしか考えていなかった。
まずは6カ国総当たりの予選リーグを、3勝2敗の3位で通過。僕たちは、チーム状態はよい方向に進んでいると信じていた。負けた試合でも修正点は見出せていたし、試合ごとに手応えをつかんでいたのだ。
決勝トーナメントではまず地元タイに圧勝。続く準決勝は、ここで負ければ、優勝どころか最終予選の切符も逃し、パリパラリンピック出場の可能性は潰えてしまう、まさに大一番の一戦だった。
「負けられない戦い」だったのに
対戦相手はイラン。前年、世界選手権で銅メダルを獲得している強豪国だ。でも、同じ年のアジアパラ競技大会では日本は勝っていたし、4日前の予選リーグで敗れたとはいえ、僕たちは勝つことしか考えていなかった。
最初に主導権を握ったのはイランの方で、日本は第1クォーターで最大10点差のビハインドを負い、苦しいスタートとなった。でも第2クォーターでは日本の持ち味であるディフェンスが機能し、イランの得点をわずか2点に抑えた。26ー25と逆転に成功して試合を折り返したのだ。
この時点では、いい緊張感と集中力を持って、勝利へ突き進んでいるつもりだった。ところが、後半の序盤、イランに3連続得点を許したところから歯止めが利かなかった。厳しい局面を打開しようと、メンバー交代をしたり、ディフェンスのスタイルを変えたりしたけれど、差は開く一方。最後はイランの勢いに押し切られる形で、48ー63で敗退。見えかけていたパリの切符には手が届かなかった。
今だから正直に話すが、僕はこのイラン戦の途中で心が折れていた。もちろん、最後まで戦ったし、やるべきことはやり続けた。バンコクにまで応援に駆けつけてくれていたファンの方々がいたし、自分が40分間フル出場した一方で試合に出られないメンバーもいたからだ。
でも、チームや自分の力を信じ、試合終了のブザーが鳴るまであきらめない、という強い気持ちでプレーしていたかというと、そうは言えない。後半にリードを奪われたあと、今の日本には「こうすれば勝てる」というものがあるようにはどうしても思えなくなっていたのだ。
「何をやっても負けるな」とすら思っていた。こんな大事な試合の途中で、こんな気持ちになったのは初めてだった。
「やっぱり今の自分たちには、あの時と比べて熱量が足りていなかった」
ずっと引っかかっていた疑念が、確信へと変わっていくことをどうすることもできなかった。












