「自分たちのレベルが落ちた」わけではないけれど
パリへの道が閉ざされたその日の試合後、僕は選手村でチームメイトと少しだけ話し、自分の中で「なぜ負けたのか」を考えていた。
「今でも日本は世界のトップ10に入るだけの力はある」
客観的に考えて、そう思う。
「じゃあトップ5だとどうなのか?」
ふり返ると、東京以外のこれまでのパラリンピックで、日本が常に8位以上にいられたわけではなく、自分たちはその歴史を変えられなかったんだな、と冷静に受け止めてもいた。
この時、パラリンピック出場の条件が東京の時とは大きく変わっていた。東京パラまで全体で12枠あった男子の出場枠が、パリから8枠へと減らされている。この4枠の差が、どのゾーンにとっても相当な違いだった。アジアオセアニアでは多い時には3枠あった出場枠が、パリではたった1枠になってしまったのだ。
開催国枠の日本の他に、オーストラリア、イラン、韓国と計4カ国が出場した東京の時とは様変わりし、「パラリンピック出場」は別次元の狭き門となった。
もちろん、そのことをパリ行きを逃した言い訳にするつもりはまったくない。厳しい条件を突きつけられているのは、どの国も同じだ。つまりパラリンピック常連だった強豪国であってもふるい落とされる時代となったのだ。そして今回ふるい落とされたチームの一つが、悔しいし情けないけれど、僕たち日本だった。
トップ5になるための決意
僕は今のチームが歴代の代表と比べてレベルが低いとは決して思っていない(むしろ史上一、二番目に強いと思っている)が、もはや「世界トップ10に入る実力」では足りないわけで、下手すれば今後パラリンピックから姿を消す時代が続く可能性だってある。パラリンピック常連国として確固たる地位を築くためには、世界トップ5に入る実力を身につけなければならない。それも曖昧なものではなく、確実で圧倒的な力を。
そのためには、僕自身がレベルアップをして日本代表の成長へとつなげたい。世界を肌で知り、各国の代表クラスの中でもまれる環境に身を置く必要がある。
その答えにたどり着いた僕の決心は早かった。
「海外リーグに挑戦しよう」
AOCから帰国する飛行機の中で、すでに僕の気持ちは固まっていた。
文/鳥海連志












