風邪薬の小瓶
その時、デュアン・オールマンは風邪で体調を崩してベッドの中にいた。1968年、オールマン・ブラザース・バンド結成の前年のことである。
そこへ見舞にやってきたのは、弟のグレッグだった。グレッグは兄に、発売されたばかりの1枚のアルバムと風邪薬の小瓶を差し入れた。
アルバムは、タジ・マハールのファースト・アルバムだった。ライ・クーダーやジェシ・エド・デイヴィスらが参加したライジング・サンズを解散させたばかりの、タジ・マハールのソロ・アルバムには、そのままライ・クーダーとジェシ・エド・デイヴィスが参加していた。
そしてバンドの演奏曲でもあった「ステイツボロ・ブルース」を、このアルバムでも再録音していた。
「ステイツボロ・ブルース」は、ジョージアのブルースマン、ブラインド・ウィリー・マクテルが1928年に録音した作品である。
ステイツボロとは、ジョージア州ブロック郡に属する州東部の市。そこはオールマン・ブラザース・バンドの活動拠点となるメイコンから車で約2時間のところにある。
デュアンは、この曲に魅入られた。この曲と、ジェシ・エド・デイヴィスがプレイするスライド・ギター(ボトルネック奏法とも呼ばれる。金属やガラス製の円筒、スライドバーを指にはめ、弦の上を滑らせて演奏するギターの奏法)に魅せられたのである。
デュアンとスライド・ギターの出会いが、バンド結成のわずか1年前だったというのは驚くべき話だ。
そして、次にグレッグが兄の部屋のドアを開けると……
グレッグが差し入れた風邪薬の瓶は、ラベルが剥がされ、兄の薬指にはまっていた。デュアンはベッドの上で「ステイツボロ・ブルース」をコピーし、スライド・ギターをマスターしてしまったのである。
以来、デュアンはコリシディン(風邪薬)の瓶を使い続けることになる。
オールマン・ブラザース・バンドを結成してからも、バンドは何度も何度も「ステイツボロ・ブルース」を演奏することになる。なかなかデュアンがその出来に満足できなかったからである。
それがバンドの出来なのか、デュアンのスライド・ギターの完成度なのか、デュアンもバンドも分からなくなるほど、彼らはこの曲を演奏し、バンドのサウンド・イメージを作り上げていった。
ロック史に輝くライヴ盤『フィルモア・イースト・ライヴ』でも、オープニングはこの曲「ステイツボロ・ブルース」だった。そしてデュアンの葬儀でも、この曲は演奏された。スライド・ギターはデュアンの代わりに、ディッキー・ベッツがつとめた。
自らが奏でるスライド・ギターの音色を聴きながら、ディッキー・ベッツは、デュアンがもうこの世にいないことを痛感したという。













