税金対策で生まれた?『夜霧よ今夜も有難う』
1966年山中湖畔のゴルフ場で、作曲家の浜口庫之助が石原裕次郎と会ったのは、まったく偶然のことだった。
浜口はその日、山梨県警の本部長と公正取引委員会の知人と3人でプレイしていた。甲府の「青少年を育む会」の歌を作ってほしいということで、東京から出かけてきたのである。
その時、リハビリのためにキャディと2人だけでホールをまわっていた裕次郎に気づいて、浜口が声をかけたことから一緒にプレイすることになった。
「リサイタルのために曲を作ってほしい」と裕次郎から頼まれたのは、ゴルフの後で一杯やりながら話し合っている時だった。裕次郎は翌年5月からリサイタルで全国をまわる予定になっていた。
「先生、何か良い曲を書いてくれませんか。税金がガッポリきたんで、それを払うために全国を歌って歩くことにしたんです。お願いします」
「そりゃ大変だなあ。僕でよかったら、やってみよう」
そう言って別れた浜口は、東京へ帰るとすぐに曲作りに入った。
構想とタイトルができた時点で裕次郎に話してみると、とても喜んでもらえたので、ほとんど時間をかけずに『夜霧よ今夜も有難う』『粋な別れ』の2曲が出来上がった。
裕次郎はテイチクの新橋スタジオに取材記者を呼んで、浜口にその2曲を歌ってもらうことにした。そして浜口がピアノでこの曲を聴かせた時、裕次郎は目に涙をためていたという。
あの二曲は、当時僕の見た裕次郎映画の、どこかのシーンから想像して作ったものだ。裏町の飲み屋を舞台に、レインコートの襟を立てて登場する裕次郎を描写した。その裕次郎は、もういない。(浜口庫之助)
浜口はかつての裕次郎映画から新しい歌を産んだが、その歌からまた新しい映画が生まれることになった。映画化に相応しい楽曲が誕生したことで、それを主題歌にした映画が企画されたのだ。














