人間にはファンタジーが必要だ
上田 川村さんは「日々の音色」で、誰もが気軽に使っているWebカメラとオンラインミーティングのアプリを使って、びっくりするような表現をされていましたが、僕も日常から何かが生み出せないかということをよく考えるんです。
僕はこれまで、『旅のない』『関係のないこと』という二つの短編集を出してきましたが、『ノー・ファンタジー』は、それに続く、「リアリズム小説」あるいは「ない(ノー)」三部作の集大成という位置づけです。
SF的な壮大なヴィジョンを思い描く時、どうしても、もう一方にある僕たちの日常生活のディテールを書きたくなってしまうところがあって、その流れの中で書いた短編小説集です。
川村 自分に引き寄せて考えてみると、こっちをやると、あっちをやりたくなるみたいな、バランス感覚なんでしょうか。
上田 こっちを書かないと、おそらく、あっちも書けない、ということなのかもしれないですね。足元にある世界の解像度を上げておかないと、遠くのことを書く時にブレてしまうみたいなことでしょうか。
川村 わかるような気がします。
上田 僕は川村さんの作品を拝見して、前提を一度なかったことにして考えているんじゃないか、という風に感じるんです。普通はこの分野の作品はこういうものが求められているとか、このタイプの動画はこういうとり方が映えるみたいな、前提というか定石があると思うんですけど、川村さんはそれを一回キャンセルして、原点に戻ろうみたいな感じで考えているのかなと。
川村 そういうところはありますね。要素還元というか、そもそもの構造まで戻って考えて、今まであったものとは別の道を見つけたり、常識を一回捨てて新しい表現を考えるみたいなことがすごく好きですね。それに関しては上田さんも似た方法を採っているような気がします。
上田 そうですね。要素に還元するためには、その要素をそれぞれ解像度高く書く必要がある。それで『太陽・惑星』のようなスケールの大きなものを書くためにも、日常生活の些末なことの解像度を上げる文章を書く必要が出てくるんです。『ノー・ファンタジー』のような短編集を積み上げていって、自分なりの手応えがあると「あ、まだ先に行けるぞ」という自信が生まれますね。
川村 面白いですね。解像度という言葉もよくわかります。高解像度の土台がないと破壊もできない。破壊しても空虚になってしまう。僕もロジックを組み立ててアイデアを考えることが好きなんですが、新しい世界を描く時ほど、その世界を信じられるようなリアリティを持って描かなければならない。解像度が高ければ、たとえ理解できないような話であっても、作り手が作りたかった世界やそのルールを鑑賞者にちゃんと追ってもらえるというか。
上田 先ほどのゼロバジェットの話とも関わってきますね。解像度を上げる、実感を込めて強く表現するために、川村さんはゼロバジェットの仕事を必要としているのかなと。
川村 そうかもしれません。自分で好きなように作る作品がないと、自分の身にならないというか。表現したいことをぎゅっと凝縮して、世に出す強度にまで仕上げないと、自分の考えがまとまり切らないような気がするんです。ネタ帳に書いてるだけではだめで、ちゃんと作品にして世に出す。そうすることで、作品へのフィードバックも含めて、次の作品制作への糧になる。自分の中での充足感が得られるというのもありますね。
上田 最近のお仕事で自分の作品だ、と言えるのはどんなものですか?
川村 MagicianShinさんという、TikTokやYouTubeなどを通じて世界中で大人気のマジシャンと、ANREALAGE(アンリアレイジ)のファッションデザイナー、森永邦彦さんと一緒に「MAGIC」というマジシャンになれる服を作り始めました。
シルクハットや燕尾服以外にも、ストリートウェアみたいに普通に着られて、さりげなく手品ができるような服があったらもっとマジックに興味を持つ人が増えるのではないかという発想から始まりました。
とてもニッチな商品かもしれませんが、こういった世の中にあったら絶対に面白いというものを、誰に頼まれなくても勝手に作り続けていきたい。スティーブ・ジョブズの言葉を借りるなら「put a dent in the universe(宇宙に小さなへこみを作る)」のような、ほんの少しだけ世界の境界線を押し広げるようなクリエイションを、やり続けたいんです。
上田 川村さんが長く取り組んでいる映画もありましたよね。
川村 『HIDARI』ですね。これも自分の好きなものだけを詰め込んだ「自分の作品」のひとつです。コマ撮りの時代劇映画なのですが、5分間のパイロットフィルムがYouTubeで公開されていて、おかげさまで520万回以上再生され、世界中で話題となっています。これも完全に制作チームがお金を出しあって自主制作しています。
僕が40年溜め込んできた中二病みたいなものが全部詰め込まれているような作品です。今はこのパイロットフィルムを活用しながら長編映画制作のために営業活動に注力しています。最近では、カンヌ国際映画祭のアヌシー国際アニメーション映画祭などに招待していただいたり、なんとパイロットフィルムを観て気に入ってくれたキアヌ・リーブス氏が主演声優として参加してくれることが決まっています。映画が公開されて収益が出ない限り、僕の会社における「HIDARIプロジェクト」の赤字は消えませんから、今はとにかく必死に実現のために駆けまわってます(笑)。
上田 素晴らしいですね。まさにロマンだ。
川村 はい、僕も普段こういう仕事を「ロマン仕事」って呼んでます。登山家が「そこに山があるから登る」のと同じような気持ちで、「そこにアイデアがあるから作る」といった気持ちで挑んでいます。
上田 僕の『ノー・ファンタジー』にも通じる話ですね。人間は、誰かに頼まれたわけではなくても、自分なりの「ファンタジー(虚構)」を自ら作り上げ、そこに寄り添ったり、時には寄りかかったりしないと、このただ存在するだけで、それ故冷酷にできている現実を生きていけない生き物だと思います。この短編集ではそのことについて正面から見つめながら書いているつもりなんですが、川村さんにとってのそのファンタジーの一つが『HIDARI』なんでしょうね。
川村 そうですね。僕は3日くらい新しいアイデアを考えないと手が震え出すような、ある種のものづくり中毒なんで、すごい分かります(笑)。
上田 川村さんのように、自分の手でファンタジーを作ることができる人は幸せです。しかし、世の中の大半の人は、自分では作れないからこそ、他人が提示したファンタジーに寄りかかって生きてきた。それがこれまでの近代社会以降の、そして現代人の肖像でした。
しかし、SNSがこれだけ発達した現代においては、「あなたが信じているその美しいファンタジーは、単なるマーケティングで作られた虚構ですよ」とか「ただの都合の良いお話にすぎませんよ」という、身も蓋もないメタ視点が同時並行で提示されてしまう。
その結果、ファンタジーが剥ぎ取られた「ノー・ファンタジー(虚構なき現実)」に直面して、人々はひどく疲弊しています。
それに対抗するように、すべてが虚構だと分かった上で、さらにメタに突っ切って熱狂する「推し活」のような現象が生まれるわけですが、それすらも、長続きすればいずれ心が疲れてしまう。
自分自身が本当に「信じるに足るもの」を、どうやってこの荒涼とした現実の中で見出していくのか。そのリアルな実情を読者に向けて一旦一緒に見つめませんかという短編集でもあるんです。
川村 なるほど、そのお話を聞くと、腑に落ちますね。たしかに『ノー・ファンタジー』のすべての短編の根底に、ファンタジーの崩壊と、それでもなお何かを希求する人間がいたように思います。
僕自身も生きるために、自分自身のクリエイションというファンタジーに依存しているのかもしれない。クリエイションの種を蒔いて、それを育てることに。そこに真実があるはずだ、真理があるんだと信じて。それがうまく行こうが行くまいが、前に進むためにやり続けなければならないんでしょう。














