『ノー・ファンタジー』の日常と飛躍
――上田さんの『ノー・ファンタジー』を読んでどう思われたのか、川村さんの感想をお願いします。
川村 本当に素晴らしかったです。タイトル作から始まって、最後に「ソー・ファンタジー」という短編で、「ノー・ファンタジー」と正反対の意味に反転して締める。短編集ですが、全体の構造が素晴らしいと思いました。短編の一つひとつが、日常の些細な亀裂から始まって、読者をじわじわと奇妙な場所へ連れて行く。その構成の美しさに感動しました。
『太陽・惑星』に代表される上田さんの「時空が飛ぶ」系の小説ではないですが、その代わりに「価値観がぶっ飛ぶ」というか。各話ともに、そことここが出会っちゃうんだ、という驚きがありましたね。それもそれぞれ違うやり方で描かれていて、一話ずつ面白く読み進めたのですが、僕はちょっと共感性羞恥症気味なところがあるので、各話とも「うわー!」とむずむずさせられるところがあって。
上田 共感性羞恥はどの辺ですか。
川村 それこそ恥ずかしいからあんまり言いたくないのですが(笑)。人間関係の気まずさとか、男女のやりとりとかですかね。恥ずかしいと感じる部分に引っかかってくるって、すごくリアリティがあるってことですよね。
上田 実は作家活動も10年を迎えたあたりから、小説を書くうえで、恥ずかしがらないということを自分に課してるんです。ちょっとこれは恥ずかしいなと思っても、良いと思ったら書く。どう思われようが知らんって割り切って(笑)。
川村 そうなんですね。まっすぐそこを突いてくるなあ、と。最初の「ノー・ファンタジー」と最後の「ソー・ファンタジー」はとくにそう感じました。
上田 気に入ってもらえた短編はありましたか?
川村 一番好きなのは「マンサ・ムーサ」ですね。主人公はFXトレーダーで淡々とルーティンだけをこなす毎日を送っていて、最初は「こんなやつ、本当にいるのか」と思ったんですけど、だんだんと「いるな」と思えてきて。
上田 たぶんいるんですよね、実際に。
川村 そうなんですよね。で、「こんなリアリティをもってこんな絶妙な人物を描ける上田さんはずるい。悔しい」みたいな気持ちになりました。別に悔しくなる必要なんてないのに(笑)。イーロン・マスクに抜かれるまで人類史上最大の富豪だった14世紀のマリ帝国の王様が出てくることにもやられました。「マンサ・ムーサ」が『ノー・ファンタジー』の短編の中で一番好きと感じたのは、僕の好きなSF要素を感じたからかもしれません。現代のイーロン・マスク、ビットコインから、700年前のマリ帝国の王様に話が飛ぶ。そういう飛躍が僕にはビリビリ来ました。
上田 ありがとうございます。
川村 上田さんの小説には日常と宇宙や歴史が突然予期せぬタイミングで出会うようなところがあって、そこに読者としてはズドンとやられるというか、ロマンを感じてしまうんです。
日常と地続きで壮大な宇宙や歴史が潜んでいる。気付いてないだけなんだ、と思わせてくれる。生きるうえで、想像力さえあれば日常に潜んでいるいろいろなものが見えてきて、それ自体がドラマチックで、面白いんだぞ、と教えてくれる気がするんです。
溜まりに溜まったマグマが噴き出す時
上田 話は戻りますけど、川村さんが僕の本を最初に手に取ってくださったのが不思議なんです。なぜ、数ある本の中から僕の本を手に取ってくれたのか。当然、世の中に出る小説を網羅的に読んでいるわけではないですよね。
川村 全然です。僕はどちらかというとビジュアル人間なので、活字よりも、漫画や映像を観る方がやっぱり多いんです。自分の仕事自体も映像やデザインですしね。だから、小説などの活字を日常的に読んでいるわけではないんです。
ただ、その中でもSF系の小説や本に対しては食指が動きやすいですね。僕が普段やっているクリエイティブの仕事、例えば、テクノロジーを使って、まだ誰も見たことのない未来のデモンストレーションをするとか、コンセプトのプロトタイプを作って提示するといった仕事に、SFが描く空想や思考実験が刺激を与えてくれるんです。独自のルールや物理法則の下で成立している、もう一つの世界をのぞいたような気がして。
小説家で言えば、円城塔さんの論理的なSFも好きですし、少し気配は違いますが伊藤計劃さんの描くディストピア、あるいは宮内悠介さんなど、ある種の知的な飛躍力を持つ作品の系譜が大好きですね。
上田さんの『太陽・惑星』も、単行本が出て、本当にすぐのタイミングで、本屋さんで手に取らせていただいた記憶があります。パラパラと最初の数ページをめくってみただけで「やばいな、この人」みたいな直感が働いて、その場で購入しました。読んでみて、「また一人、とんでもない小説家が現れたぞ」と衝撃を受けたんです。日常の何でもない些細なディテールから始まっているのに、次の瞬間には超宇宙的なスケールに飛躍している。「ここまでぶっ飛ぶんだ!」というクラクラするような驚きがありました。
上田 なるほど。作家には、デビューまで時間がかかるタイプと、初めて書いた小説でさっと受賞してしまうタイプがいるんですが、僕はどちらかと言えば前者の方。もちろんもっとご苦労なさっている人はいくらでもいらっしゃると思いますが、応募を始めてから、足かけ10年くらいかかってデビューしたんです。
川村 そうだったんですね。そうはまったく見えないですね。
上田 そうなんですよね。なぜか苦労してるように見られないっていう(笑)。
川村 たぶん、良い意味で、何事もすべて計算ずくだという雰囲気が漂っているからなんじゃないでしょうか。文体もそうだし、作家としてのキャラも。
上田 デビューまでのフラストレーションやら、何やらが溜まりに溜まっていたと思うんですが、なぜか労われづらいという。
川村 自分の中で煮えたぎっていたものがあったんですね。
上田 それで、「デビューとか知るか」「書きたいものを書くんじゃ」、とわりきって書いたのが「太陽」でした。だから、ああいう作品になったんでしょうね。
川村 なるほど、その溜まりに溜まったぐちゃまぜのマグマが噴き出したような感覚が、『太陽・惑星』の熱量になっていたんでしょうね。
上田 フラストレーションといえば、川村さんのような第一線で活躍されているクリエイターの方でも、自分の思い通りに表現できない時期があったんでしょうか。
川村 あります、あります。僕らのようなデザイナーや映像ディレクターという職業は、仕事の割合的にはコミッションワークがほとんどです。クライアントから依頼されてデザインをしたり映像表現をするので、最終的な決定権は自分たちにはない。当然ながら様々な制約があって、結果としては正しいものが作れたとしても、本当に作りたいと思った状態のものが作れないケースの方が多いんです。そうした時に生じるストレスは、どうしても蓄積していきます。だからこそ、僕はコミッションワークではないもの、つまり、自分の作品を自主制作することでバランスを取っています。
僕自身、ものづくりをすること自体を「仕事」だとはあまり思っていないのかもしれません。とにかく作ることが好きだし、自分にはそれしか能がない。ものを作ることでしか自分の価値を証明できない、というある種の強迫観念のようなものすらあります。自分のレゾンデートル、つまり存在理由を世の中に示すために、クライアントの都合や予算に左右されず、自分が本当に「これは新しい、これは面白い」と信じられるものを世に問いたい。それが僕のガス抜きであり、マグマを噴出させる場所なんです。
ただ、これをあんまり言うと会社から怒られちゃうんですが、クライアント仕事でもこれはゼロバジェットなんだけど「どうしても作りたい!」と思ってしまったら作っちゃう、みたいなこともあります。
上田 ゼロバジェットってどういうことなんですか? 予算ゼロ?
川村 そうですね。「予算はないけど、お願いできませんか!?」と頼まれることがあって。
上田 それはミュージックビデオとかですか?
川村 はい。そもそもミュージックビデオって予算が少ないものなのですが、僕がキャリアの始めの頃に作っていたミュージックビデオは友だちのバンドから頼まれたものだったんで、当然予算がなくって。SOURという高校の同級生がやっているバンドで、バンド名を一緒に考えるような関係で、はじめはCDジャケットのデザインを手伝ったりしてました。
そのうちそれが発展していってミュージックビデオを作れないかという話が出た時、自分は当時広告代理店にいてそっちの仕事で稼いでいたので、「いいよ。自前でできる範囲で考えるわ」と気軽に引き受けちゃったんです。それが「半月」という曲のミュージックビデオで、影絵を使った演出がYouTubeで話題になりました。その成功がきっかけとなり、そこから何本も彼らのためにミュージックビデオを作っていくのですが、中でも「日々の音色」や「映し鏡」といった作品は世界でも話題となり、海外の広告賞などもたくさんいただくことができました。結果として、その自主プロジェクトが入り口となって僕個人に大きな広告の仕事が入ってくるようになっていったんです。SOURのプロジェクト自体はほぼ無償でしたが、それが巡り巡って自分のキャリアやビジネスを支える大きなジャンプ台になりました。
上田 「日々の音色」は、世界中の人々がWebカメラの前でポーズを取り、それが幾何学的なパターンを構成していく斬新な演出でしたけど、あれもゼロバジェットだったんですか。
川村 そうなんです。当時、僕はニューヨークに住み始めたばかりで、予算がないからスタジオも借りられないし、高価なカメラも使えない。だったら、世界中の人たちに協力してもらって、それぞれのパソコンについたWebカメラで撮影した映像を集めたらどうだろうと考えたんです。それなら実質タダで制作できる。それを出発点に、グリッド状に並べたWebカメラの映像が連動し、本来は繋がれない人同士が繋がれるという表現にたどり着いたんです。














