「もう一回“結婚しよう”って言ったら結婚してくれる?」

貴弘さんの仕事柄、法事の予定は事前にわかるものの、葬式はやはり突然入る。

「ヘルパー事業者だけで8か所ほどお付き合いいただいています。僕は毎月、各事業所のヘルパーさんに『今月はこういう感じでお願いします』という予定を組み、流しているのですが、お葬式が入ると全部、その日の予定は組み直し。何か所も電話をして、みてもらえる業者さんを探すというスケジューリングはやっぱり大変ですね。とはいえ、サラリーマンの方のように残業続きということはないので」

貴弘さんは、悲壮感漂うケア生活をしているわけではない、と語る。

「うまく言えないのですが、この生活が始まって10年。感慨深いですし、いい意味で『力み』が抜けてきた部分もあると思います」

気づけば、元気だった明里さんと過ごした時間よりも、歩けなくなった明里さんとの時間のほうが長くなった。

「(明里さんが元気だった)あのころは何気なく過ごしていたし、時にはケンカもしましたし(笑)。あの大事な時間を過ごしたことがどんどん色濃くなって、ますます大事にしたいと思っています。

そして今の生活はこれからも20年、30年と続いていく。葛藤したり、悩んだり、苦しんだり、孤独を感じることはもちろんあります。『どうしてこうなってしまったんだろう?』とか、街中の親子連れを見て『ウチはああはならなかったなぁ』とか、いまだに悲しむこともやっぱりあって。

ただ、ふたりが頑張っているから僕も頑張れる。

もし、あのときふたりが亡くなっていたとしたら、今は全然違う生活をしているでしょうね。朝から晩までヤケ酒だったかもしれないし、ひょっとしたら、もうこの世にいなかったかもしれないし。そんなふうには思いますよね」

 「ふたりが頑張っているから僕も頑張れる」と話した貴弘さん(写真/齋藤周造)
 「ふたりが頑張っているから僕も頑張れる」と話した貴弘さん(写真/齋藤周造)

そう語る貴弘さんは、悲しむ時間は悲しむ時間として大事にしている。

「悲しみばかりに目を向けるときがあるのは、仕方がないこと。たとえ時間が経とうとも、悲しみはやっぱり襲ってくる。ただ、その悲しみは、それだけ大きなもの、深いものをいただいていた、それだけ大事な時間を過ごしてきたことの裏返しなのだ、と。

かつて、私が学んだ先生が教えてくれたその言葉が、今になって響いています」

さらにこう続ける。

「明里は記憶を失っていますが、いい意味で悲壮感はないんです。良いことだけではなく、悪いことも忘れているので。『なんで私はこうなってしまったの?』とシクシク泣くこともなく、今を笑顔で過ごしているんです。

ひょっとしたら、彼女の本当の力強さは、辛いことは全部忘れて、さらに夫のことも忘れたフリをして(笑)、楽しく生きているところにあるのかな~なんて思っています。そして、彼女の関心事は『今日は何を飲もうかな』であって(笑)」

貴弘さんは、明里さんに冗談半分でこんな問いをよく投げかけるのだそう。

「『もう一回“結婚しよう”って言ったら結婚してくれる?』と。『いいよ』って言うときもあるし、『ダメ』って言うときもあって(笑)。断られたときは『え、ダメなの? こんなにご飯作ってるのに? 厳しいねぇ(笑)。じゃあ、また今度言ってみるわ』って返したり。

明里は、その都度言うことが違うので、それはそれで楽しく言葉を返していますよ」

家族のことを語る荒木さんの表情は終始笑顔で、その生活が優しさで満ちあふれていることが伝わる。

だからと言って、軽々しいことは言えない。ただ、今宵もふたりの晩酌が笑顔で穏やかであることを願うばかりだ。

(後編はこちら)

貴弘さんと明里さんは笑顔の日々を送っている(写真提供/一般社団法人ジャパンバリアフリープロジェクト『964万7千分の一』YouTubeチャンネル)
貴弘さんと明里さんは笑顔の日々を送っている(写真提供/一般社団法人ジャパンバリアフリープロジェクト『964万7千分の一』YouTubeチャンネル)
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取材・文/池谷百合子