時代の空気が、知らず知らずのうちに

――意外にも、未南の書く作品は骨太な歴史エンタテインメント。八百万町の歴史講演会にゲストとしてやってきた彼女と面識を得、打ち上げの場となった八百万町唯一の居酒屋「サンカク」でノミネートを知らされた二人は、選考会の日、“待ち会(編集者や関係者と選考結果を待つ催し)”をサンカクでともに行うことになります。こんな奇跡的な機会が現実にもありうるのでしょうか?

池井戸 ないですね。僕はこれまでに何度も賞の候補になって、待ち会については取材が必要ないほど経験していますが、もしあったら間違いなく史上初だし、事件です(笑)。

――こうなると、二人の作品を読みくらべてみたくなります。とくに、異国情緒漂う未南作のサスペンスロマンを。

池井戸 作中作で書いてみようかという気持ちにはなりましたが、それをやったら上下巻になってしまうので、「序」の部分だけでやめておきました。もし書くとしたら、その時代にまつわる資料を読み込んで、相当な知識をつけなければならないと思います。

――太郎はまず未南の作品に魅了され、徐々に彼女自身にも惹きつけられていきます。が、あるきっかけから未南の作品に重大な疑惑が浮かび上がることに。太郎は執筆そっちのけで解明にのめり込みますが、それは深い混迷への道のりでした。

池井戸 疑惑の真相がいかなるものなのか。そして、なぜ彼女が当事者となったのか……。実は、この解決を思いついたことが、最終的に作品執筆のきっかけになりました。でも、書きはじめてからも、それこそ最後の最後に至るまで、編集者とは相当議論を重ねました。
 未南の作品にまつわる疑惑の一方で、八百万町の中でも冒頭の女性変死事件に端を発するあらたな問題が浮かび上がります。この二つの事件は直列的ではなく、いうならば“ねじれ”の位置になっているんですが、ある一点でつながっている。決して意図したものではなく、書き進めていったらこうなったという意外な接点とでもいいますか。自分でもまさかここにたどり着くとは思っていませんでした。
 プロットのない物語を書き進めていくとき重要なのは、物語の流れが自然かどうかです。人物と人物の関係、出来事のつながりは作者の意図ではなく、登場人物の自然な意思と行動でなければなりません。そこが一番難しい。でも経験上、どんな難問も、どこかに解決策はある気がします。

――今回も、作者として納得のいくように書き終えられたと。

池井戸 はい。もちろん、作家も人ですから、作品によって出来のよしあしはあります。それはちょっと、陶芸家が作品を(かま)に入れ、焼いて出してみて「ああ、こうなったか」と思うのに似ている。直せる部分は直すけれど、惜しかった部分も含めて、それがまた作品の個性でしょう。小説には、そういう“生物(ナマモノ)”のようなところもあって、今作も例外ではありません。

――もともと地元の伝承やエピソードを小説という形で書いて記録しておきたいという思いから生まれた『ハヤブサ消防団』。町の歴史をモチーフとした第二作で、あらためて「継承」がシリーズのテーマとして明確になったように感じます。とくに今は、ともすれば都合の悪い過去は忘れてしまおうというムードに支配されがちな世の中でもあり……。

池井戸 そうですね。何となくですが、いまの世の中は「やばいな、これ」というところに来ているなと感じます。ひと握りの権力者が戦争を起こして、それによって何十万何百万人もの人の命が危険に(さら)され、実際に命を落としている。でも、それを誰も止められない。戦争をしている国も、そして日本も、その時代性からは逃れられません。
 作家も同時代に生きているひとりの人間ですから、世界情勢や政治のあり方、そうした時代の背景を無意識のうちに()んでいます。僕は政治的なスタンスをとくに主張してきませんでしたが、もし表現したいことがあれば小説として発表するでしょう。作家としてやるべきことは、それに尽きると思っています。

「動機」と「挑戦」で道を拓く

――いまのお話から、作中で未南が太郎に言った、《人にはそれぞれ世に問うべき作品があるような気がするんです》という言葉を思い出しました。その人が書くからこそ意味のある小説、それは、池井戸さんが先に述べられたオリジナリティーにも通じるものだと思いますが、そうしたものを作家がより深めていくために必要なことは何だと思われますか。

池井戸 「動機」と「挑戦」。まずは、これを書きたい、こんなことをやってみようと思えるものが、自分の中にあるかどうか。そして、それにチャレンジできるかどうかだと思います。
 書きたいものを自由に書いていけることは、とても幸せなことだと思います。でも、たいていの場合、それだけでは本は売れない。「作家」という仕事をしていく上で本当に難しいのは、売れるものを狙って書いて、それを実現することでしょう。一方、それには動機も要る。ただ書くのが好きだからでもいいけど、僕の場合は新しい車が欲しいな、とか(笑)。何にせよ、何かのために書いてやろうという思いがなければ書けません。

――多くの人に届き、読まれる小説を目指す。それが、自分の書きたいものと一致するのは、幸福なことですね。

池井戸 本当のところ、僕を含めて多くのエンタメ作家には、“真”に書きたいものは別にあるのかもしれません。それは、作家にとっての“コア”の部分であり、そうたくさんはない。でも、職業作家は、売るために書いているという現実もある。結果的に、自分が書ける範囲で「これなら世に問える(売れる)」と思うものを選択して書いているんじゃないかと。僕にも、とても好きな世界だけど売れる自信がないから書いてない、という小説はあります。そのうち、引退間際になったら書くかもしれません(笑)。

――太郎もそうですが、職業作家として認められても、模索は続くということですね。

池井戸 作家として考えなければならないことはたくさんあると思います。僕が今、いちばん気になっているのは、作家も版元も、本は売れないものと決めつけていないか、ということ。自分たちがやりたいようにやって、ルーティーンのようにして本を出して「七千部しか売れませんでした」「一万部売れました、よかったよかった」というレベルのところでとどまっていて、新しいことを開拓していこうという気持ちが薄い気がするんです。一方で、マンガは売れて当然だ、というような。
 作家の側でできることは限られていますが、とくに版元のほうには、さらなるイノベーションやブレイクスルーが必要だと思います。その顕著な例がオーディオブック。僕の既刊でも、ダウンロード数はいまや、紙の本に迫る勢いです。ただ、それを手懸けたのは某外資系書店。版元にもう少しチャレンジ精神があったら、日本でも実現できたはずなんです。
 さらに問題なのはずっと据え置きになっている本の値段と減り続ける書店の数。課題は山ほどありますが、新しいアイデアはきっと考え出せるし、何らかの解決策はあるはずです。いずれにせよ現状のままでは先は見えています。

――動機と挑戦といえば、近年、小説以外の創作ジャンルにも興味をお持ちだと聞きました。そういえば、この秋に舞台で上演される池井戸さんの作品(*3)がありますが……。

池井戸 脚本や演出を誰がやるかはさておき、小説をひとつのコンテンツとして、活字だけではなく多面的に楽しんでもらいたいと思っています。

――太郎は、作中で自然に《僕が住んでいるのはハヤブサだよ》と口にしており、八百万町にしっかりと根を下ろした模様です。彼とハヤブサ消防団の物語は、この先も続いていくと期待していいでしょうか?

池井戸 そうですね。『森へつづく道』が売れたら、きっとまた語ることが出てくるでしょう(笑)。
 そういえば、この作品の表紙の絵は、僕がわがままを言って入稿直前で差し替えてもらいました。最初はただの森の絵だと感じられるでしょうが、読み終えた後には、きっと見え方が変わってくると思います。お楽しみに。

「小説すばる」2026年8月号転載

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「過去と現在の「接点」を探して」『ハヤブサ消防団 森へつづく道』池井戸 潤 インタビュー _4