八百万町にも歴史あり
――田園ミステリとして評判を呼んだ『ハヤブサ消防団』。シリーズ第二作となる『ハヤブサ消防団 森へつづく道』は、二〇二五年五月、同じく「小説すばる」へ連載(掲載は六月号から)でスタートしました。さほど時を置かずしての続編執筆でしたが、前作終了時点ですでに構想があったのでしょうか。
池井戸 いえ、ぜんぜん。ただ、前作のときに目標の販売部数を掲げて「超えたら次を書く」と宣言したところ、幸運なことに達成できてしまったので、「やっぱり書くことになったか……」と(笑)。それで、新しいテーマについて考えはじめました。
もともと、前作は僕が父親から伝え聞いた近過去の伝承などをもとにして生まれた作品でした。舞台である八百万町ハヤブサ地区は僕の故郷がモデルになっていますが、次作に向けていろいろ模索しているうちに、地元も関係する、ある歴史的な事実に突き当たったんです。じゃあ、それをモチーフにして書こうかということで、早い段階で関連施設に取材にも行ったんですが、検討の末、「これは無理だな」と。
――小説にするのは難しかった?
池井戸 その出来事から現代までの間に時間が経ちすぎていて、現代の八百万町に直接つながるストーリーを構築するのは難しいのではないかと。なので、いったん棚上げにしたんですが、それから半年くらいして、突如、思いついてしまったんです。解決の道筋を。
――『ハヤブサ消防団』のことが、ずっと頭にあったんですね。
池井戸 そうですね。取材にも行ったし、ずっと気になってたんです。でも、考えていることは編集者には知られないようにしながら……。知られてしまうと、「いつ書けますか」と催促が始まりますから(笑)。小説は入り口が見つからないと書けないので、それを発見できたのはよかったと思います。
――冒頭では、シリーズ前作を思い起こさせるように、川に落ちた車から水死体となったシングルマザーが見つかります。主人公の三馬太郎が所属する消防団がただの仲よしサークルではなく、町の人の生死に関わる活動を行う集団だということが象徴的に示される出来事です。
池井戸 このシーンをうかつに書いてしまったことが、のちのち僕を苦しめることになるんですが……。この死の謎が、実は最後まで解けなかったんです。なぜ彼女は死んだのか、なぜ車ごと川に落ちたのか、その真相が。
――決めずに書きはじめたのですか。
池井戸 僕はプロットなしに小説を書くので、何が起こるか、この先がどうなるか、まったくわからずに書きはじめ、そのまま書き進めていきます。
小説を刊行したあと、読者の方から「池井戸作品らしく、予想したとおりのストーリーだった」という感想を目にすることがありますが、そんなはずはないんですよ。だって、作者である僕にすら、先がどうなるかわからないんですから! 今回も、最後の最後、発明に次ぐ発明によって変死事件の謎が解けて本当によかったと思っています。ちなみに、この作品も、よく感想に書かれる「勧善懲悪」の物語ではないことを、最初にお伝えしておきます(笑)。
作家は「独立国家の領主」
――父の遺した家《桜屋敷》で小説を書く太郎は、消防団の仲間たちや近所の人々と触れ合い、すっかり町になじんだ様子。しかし、その生活にさざ波を立てる出来事が、またしても起こります。前作の事件に関係した町長が退任することを受けての町長選に、八百万町消防団ハヤブサ分団・分団長の宮原郁夫が立候補を宣言。太郎や消防団の面々がいやおうなしに巻き込まれる選挙活動の描写からは、二〇二三年放送のドラマ(*1)の影響もあって、一人ひとりの表情や言動がありありと浮かびました。
池井戸 立候補する橋本じゅんさんが、生瀬勝久さん演じる山原賢作と小競り合いになって……きっと、読者の方々にとってもそうでしょうね。とくに、太郎の担当編集者・中山田洋は、ほとんど山本耕史さんへの当て書きのようになっています(笑)。いずれにしても、キャラクターが勝手に動いてくれるのは、作者としてもとてもありがたい状態です。
――宮原の対抗候補となるのが、新人候補・浅井素基。父は地元の名士、有名大学を卒業後に東京でIT企業を経営する三十代のイケメン候補は、町長報酬の全額返上、町民への給付金といった公約とネット戦略を駆使した選挙活動で、町内に旋風を巻き起こします。キャッチフレーズは《MYGA(=メイク・ヤオロズ・グレート・アゲイン)》。具体的な人物が何人か頭に浮かぶ造形です。
池井戸 そうですね。とくにモデルがいるわけではありませんが、いろいろな人物の集合体ということで。
――保守的な町役場の中にはこの選挙により、少なからぬ軋轢が生じます。太郎は、選挙戦時から彼に対して《ああいうのは苦手だな。(中略)低レベルのポピュリズムにぼくらは負けたんだ》と批判的。第一作では自分の意見を強く表明することのなかった彼の変化は、八百万町での暮らしに慣れたことや作家としてキャリアを積んだことによる自負の表れでしょうか。
池井戸 どうでしょう。どちらにしても、不自然ではないと思います。今作では彼の内面の描写を少し厚めに書いているので、そのぶんキャラクターがくっきりしてきた部分はあるんじゃないでしょうか。また、今作では八百万町と並んで出版業界がひとつの舞台となっているので、そうしたことからも、太郎が自信を持って語れる場面が増えたのかもしれません。
――自信といえば、太郎は作中でヴィンテージカーを衝動買いしていますね。田園を舞台にした作品で新規軸を開拓し、連載も増えた余裕なのか……。
池井戸 はっきり言うと、買ったのは僕ですけどね(笑)。一九六九年製のBMWのセダン、通称“マルニ”。太郎がこの車を買ったことも、謎解きの道筋につながりました。僕の車はまだ整備中ですが、いずれ故郷にできた「ハヤブサ・ミュージアム」(*2)に展示しようと思っています。
――町の変化と呼応するように、太郎にも転機が訪れます。彼の最新作『キツツキたちの理由』が、受賞すれば《直木賞の候補作家になるかも知れない》と目される蛍文社文学新人賞の候補に推されます。しかも、同時候補は新進女性作家の北原未南の作品。地道にコツコツと書いてきた太郎とは対照的に、未南は華がありマスコミ受けもいい作家で、手強いライバルです。
池井戸 僕個人の考えですが、作家同士がライバルとしてお互いを意識するということは、あまりないように思います。違うタイプの作家はもちろんですが、たとえライバルと周囲から目される作家がいたとしても、「あいつが売れたせいで俺の作品が売れなくなった」ということはありません。
小説という世界の白地図があったとして、作家になるということは、いうなれば、その中にひとつの国家を得ることだと思うんです。多くの国がひしめく恋愛小説の大陸もあれば、未開の大地のように誰も書いていないジャンルもあったりする。僕はきっと後者のほうで、世の中には会社で働いている人が大勢いるのになぜかあまり書かれていなかった、会社員が主人公の小説という暗黒大陸のような領土を担うことになりました(笑)。
つまり、職業作家にとっていちばん大事なのはオリジナリティーで、それこそが自分の領土を規定するものです。そこをいかに開拓して豊かにしていくかが勝負なので、誰かをライバル視するようなものではないと思います。
――最初からスターとして登場する人がいれば、苦労を重ねて才能を開花させる人もいる。それぞれなんですね。
池井戸 唯一、意識するとしたら、同時期にデビューした人でしょうか。世の中の評価の違いに鬱々とするようなことはあるかもしれませんが、それでも、商売敵というような関係ではありません。
裏を返せば、他の作家と同じことをやっていてもダメだということ。誰か好きな作家がいても、その人と似たものを書いていては世に出ることはできません。模倣で満足したいなら、同人誌で書いていたほうが幸せだと思います。














