極右の奇妙なエコロジー

2025年の参議院選で参政党が躍進したことは、気候危機対策を重視する人たちにとっては憂慮すべき結果だったに違いない。海外の多くの極右政党と同様、参政党は典型的な気候変動懐疑の立場をとっていたからである。

参政党は「地球温暖化には科学的な議論の余地がある」と言いながら国際的な気候変動対策の枠組みからの離脱を訴え、メガソーラーによる自然破壊や電気料金の負担を強調することで脱炭素や再生可能エネルギー政策を後退させようとしていた。神谷代表が「CO2で気候変動、言っているのは日本だけ」と発言したことも記憶に新しい。

しかし不思議なことに、そこには一見すると「反エコロジー」とは矛盾するような主張も含まれている。参政党はあらゆる気候変動対策に消極的な一方で、「日本の恵まれた自然環境や生態系を守る」と主張しているのだ。

さらに、脱炭素や国際的な気候政策に反対する一方で、ローカルな食や土地、農業に関しては「地球との調和的な共存」を訴えてもいる。つまり、そこには気候変動懐疑主義をオーガニックの語彙で包むような両義性があるのだ。

この「奇妙さ」を理解するには、極右エコロジーの世界観を知る必要があるだろう。現代の極右は、環境問題をただ否定しているわけではない。もちろん、その主流を占めるのは今なお、化石燃料に依存した生活様式を守ろうとする気候変動懐疑主義である。

しかし、極右の内部には、環境問題を独自のやり方で「真剣に」取り込もうとする少数派も存在する。この二つの潮流が結びつくことで、参政党の環境言説に見られるような「奇妙さ」が生まれるのだ。極右のエコロジーを検討することは、その環境政策がもつ両義性を正確に捉えるために欠かせない。

参政党の神谷宗幣 写真/Shutterstock
参政党の神谷宗幣 写真/Shutterstock

極右=反エコロジーという定説

極右は反エコロジー的である――直感的にこう感じる人は少なくないだろう。トランプ政権が行った政策を思い出してみよう。同政権は気候変動を否定し、パリ協定からの離脱やグリーン政策への攻撃を進め、電気自動車や再生可能エネルギーに反発し、化石燃料産業を支援した。

さらにストローなどのプラスチック製品の使用再開を象徴的にかかげることで、「環境規制からこれまでの消費生活や産業利益を守る」姿勢をアピールした。トランプ政権のもとでは、環境政策は未来のための公共政策というよりも、「普通の人々の生活や自由を脅かすもの」として描かれていた。

フランスの極右も同様に、長い間「反エコロジー」であった。国民戦線(現国民連合)は、移民や治安、国民的アイデンティティを主要な争点とし、環境問題に対しては無関心であるか、しばしば攻撃的でさえあった。

2010年に国民戦線が開催した気候変動に関するシンポジウムでは、「気候変動は社会主義者や環境主義者によって作り出された詐欺である」と主張された。こうした陰謀論的世界観において、気候危機は左翼が増税を正当化し、国境開放を進めて気候難民の受け入れを促進し、白人や先進国を世界の不幸の責任者として描き出すための口実にすぎない、とされていた。

こうした極右の「反エコロジー」的態度は、21世紀初頭にひろく見られた。フランスに限らず、気候変動を疑うこと、あるいは否定することは、極右においてほとんど標準的な立場であった。

極右が環境問題にかかわるとき、それはしばしば気候変動懐疑論とともに、「化石燃料資本主義の擁護」というかたちをとる。なぜなら、極右にとって重要なのは化石燃料に支えられてきた西洋的生活様式を守ることであり、化石資本にとって重要なのは石油・ガス・石炭から得られる経済的利益を守ることだからだ。

このように、極右と化石資本の利害が結びつく現象は「カーボファシズム」と呼ばれる。こうしたカーボファシズム的傾向は、ブラジルのボルソナロ政権やハンガリーのオルバン政権にも現れていた。極右は環境政策を「懲罰的」「エリート主義的」「普通の生活を脅かすもの」として描き、「エコロジストから車や芝生、バーベキューのある生活を守る」と訴えることで有権者を動員してきたのだった。