気候変動懐疑主義2.0
しかし今日、「極右=反エコロジー」という従来の単純な図式が崩れ始めている。かつての大きな対立軸は、世界が気候変動に直面していることを認めるか否かであった。ところが気候危機が深刻化し、環境問題が政治全体の中心的テーマとして定着したことで、この争点は変化した。現在では、危機の存在を前提にしたうえで、それにどのように対応するのかが争われるようになっているのである。
こうした変化を受けて、フランスの極右もまた、単なる「反エコロジー」政党ではいられなくなった。2010年代末頃から、フランス極右は、気候変動否定を主たる戦術とすることを放棄し、綱領のなかに環境やエコロジーに関する項目を盛り込むようになった。国民連合が政権獲得を目指す以上、環境、エネルギー、農業、気候といった問題に対して、何らかの立場を示さなければならなくなったのである。
こうした極右の変化の具体例として、国民戦線が「愛国的エコロジーのために」というスローガンのもと、2014年に立ち上げた「新しいエコロジー(Nouvelle Écologie)」という団体が挙げられる。
これは極右が自分たちを「環境に配慮する政党」として、環境問題に関心を持つ一部の有権者に向けてアピールするグリーンウォッシング的な試みのはじまりであった。さらに、2017年の大統領選では、マリーヌ・ルペンは、「国内生産を重視する保護主義こそが温室効果ガスの削減になる」と語るようになった。彼女は、父ジャン=マリー・ルペンの時代のように温暖化否定を前面に出すのではなく、「グローバリゼーションからフランス経済を切り離すことが、環境保護にもなる」という論理へと移行しているのだ。
このような極右の言説の変化をどのように捉えるべきだろうか。重要なのは、極右の立場が気候変動に対する「単純な否定」から「対策の妨害」――すなわち「気候変動懐疑主義2.0」に変化しているということだ。
つまり、それは温暖化そのものを完全に否定するのではなく、環境規制、税制、科学的合意、国際協力、気候適応策といった具体的な対策を個別に攻撃することで、気候変動への対策を骨抜きにしていくかたちの否定である。
しかも、そこで科学は単に否定されるだけではない。「気候変動懐疑主義2.0」において、極右は時に「科学的理性」を守るふりをしながら気候学者を攻撃するなど、科学を偽装的に利用することもある。その上で、論点をずらし、気候問題を細かな技術論へと分解することで、極右は気候変動に関する政治的決定を先送りさせるのである。
現代の気候変動否認は、科学を正面から拒絶する言説というよりも、科学の権威を選択的に利用しながら、そこから導かれる政治的帰結を無効化する言説として捉える必要がある。
さらに、極右は「懐疑主義2.0」にとどまらず、ナショナリズムや伝統主義、反移民など、極右と親和性の高いテーマとエコロジーを巧みに結びつけ、独自の「極右エコロジー」思想を生み出している。一般的には左派的なテーマだと思われているエコロジーだが、なぜこのような思想上の操作が可能になるのだろうか。そして、その思想的源流はどこにあるのだろうか。
エコロジーは「自然に左翼」ではない
エコロジーは、しばしば左派の独占領域であるかのように思われている。事実、フランス語圏におけるエコロジー運動は、1968年5月以後の社会運動、軍事演習場の拡大に反対した1970年代のラルザック闘争、非党派的なアソシエーション、ソ連に批判的な非正統派のマルクス主義などと結びつきながら形成され、歴史的に左派的、社会主義的、反資本主義的な色彩を強く帯びていた。
フランス語圏の初期エコロジー思想の特徴は、いわゆる資本主義社会だけでなく、ソ連型の共産主義国家による環境破壊にも批判的であった点にある。彼らは生産手段の所有関係にとどまらず、生産の拡大を進歩とみなし、人間による自然の支配を当然視する発想そのものを問題視した。フランスのエコロジー運動は、人間社会内部の支配関係の解消という問題意識を、自然環境を含む生命全体へと拡張した。つまり、人間集団どうしの支配をなくすことと、自然への支配を問い直すことは、切り離せないものとして考えられたのである。
しかし、こうした歴史的背景だけを根拠にして「エコロジーは本質的に左派である」と考えてしまうと、緑の資本主義や極右エコロジーのような、左派とは異なる政治的エコロジーの存在を覆い隠してしまう。たしかに、エコロジーは左派政党によって多く担われてきた。しかし、その思想的源泉や展開は左派だけに限定されない。
たとえば、フランス緑の党の初期の中心人物であったアントワーヌ・ヴェシュテルは、「エコロジーは右でも左でもない」という立場から、エコロジーを環境との関係や生産様式を根本的に変えるための新しい政治哲学と位置づけていた。
また、イギリスの保守思想家ロジャー・スクルートンは、環境保護を国際主義や国家管理にもとづくものとしてではなく、故郷、地域、風景、共同体への愛着、つまり「郷土愛」にもとづくものとして考えていた。
つまり、自然を守ることは、進歩や解放の政治というより、自分たちの身近な場所や暮らしを守ることとして語られていた。このように、エコロジー思想のなかには、進歩主義的な系譜だけでなく、ロマン主義、保守主義、反近代主義の系譜に位置づけられる「保守エコロジー」も存在するのである。
保守エコロジーには、多様な思想的系譜がある。そのルーツの一つに、第一次世界大戦後のワイマール期ドイツにおける「保守革命」と呼ばれる一連の右派思想がある。さらに、1970年代の左派エコロジー思想や、人間中心主義を批判し自然そのものの価値を重視する北米のディープエコロジー、バイオリージョナリズム(生態地域主義、詳細は後述)なども取り込まれてきた。
こうした多様なルーツをもつ思想を、極右エコロジー思想として体系化した重要な思想家が、新右翼のアラン・ド・ブノワである。新右翼は、1970年代以降、左派知識人の語彙や参照先も取り込みながら、1980年代以降にはエコロジー思想を体系化し、それをほかの極右潮流へと広める媒介役を果たした。以下では、フランスの「新右翼」によって体系化された「極右エコロジー」思想をひもといていく。













