事実の隙間を自分で埋めていくのが面白い
──書き上げて、村山さんの中で定に対する印象は変わりましたか。
伊藤野枝はまだ理解できる範疇にいたんですけれど、阿部定は書いていても、半ばくらいまでは本当に「いやあ、この人は分からない」って思っていたんです。でも、だんだん可愛くなってきちゃって。吉弥の心情の変化、心境の変化と同じタイミングで私の気持ちも移行していった気がします。
──読者である自分も、読了後は阿部定の印象が変わりました。
私が書いたことが本当かどうかは分からないですけれどね。でも、いろんな資料を読んでいると、そんなに特殊な人ではない気がしました。それに当時は、たとえば一般家庭でも鶏の頭を切って落として捌くのは日常のことだったんですよね。今の私たちは局部を切ったと聞くと「うっ」と思いますが、生ものを切ることは、今よりも身近な感覚だったのかもしれないな、とも思いました。それもあって、日常で生き物を捌くシーンを押さえておいたほうがいいだろうと思い、定が鰻を捌くシーンを書きました。
──『風よ あらしよ』と『二人キリ』を読んで、評伝小説の理想形だなと思いました。事実だけを書くなら伝記でいいですよね。わざわざ小説にする意味を考えると、やはり書き手の解釈が説得力を持って書けているかどうかって本当に大事だなと思いました。
『風よ あらしよ』を書いた時に、「評伝」と呼ぶかどうか訊かれたんですよ。「評伝」と言ってしまうにはフィクションの部分も結構あるから、「評伝小説ということにしない?」と言いました。
私自身が面白がって書けるのは、事実の隙間を自分で埋めていく部分なんですよね。あってもおかしくなかったこと、あったという証拠はどこにもないけれど、なかったという証拠もないところを想像して埋めていくのが楽しい。『風よ あらしよ』で吉川英治文学賞をいただいた時に、選考委員の浅田次郎さんが「手に合っている」と評してくださったんです。この人はこういう書き方が合っている、と。自分でも確かにそうだなと思いました。
──隙間を埋めた結果、フィクションに偏りすぎる可能性もありますが、その塩梅はどのように意識しましたか。
難しいんですけれど、断片的な資料から推測して、こういう人なら絶対にこういう台詞は言わないよな、とか、こういうふうにものを考えたんじゃないかなと、私の中では整合性をとりながら埋めていきました。
刊行した時、取材の一環で定さんが営んでいた「若竹」跡のはす向かいの神社で撮影したんですよ。お参りしながら、定さんに「あれでよかった? 怒ってない?」と呼びかけました。書きながらもずっと、こういう書き方をして定さんは怒らないかな、って自分に問いかけていました。
──吉蔵の声を聞かせてくれたと、喜んでいるかもしれません。
だったらいいなあ。そもそも定がどうしてああいうことをしたかよりも、吉蔵がなぜ抵抗しなかったかのほうが、私にとっては謎だったんですね。抵抗できたし、逃げることもできたのに、なぜ健康な男性がそんなことになったのかという。
──今回の文庫化でまた広く読まれますね。
文庫化は嬉しいですね。私は子供の時から手にする本の文庫率が高かったんですね。生まれてはじめて手にした文庫がアンデルセンの『絵のない絵本』だったんですよ。小学二年生の頃だったかな、母が買ってきて、難しい漢字にふりがなをふってくれて。短い話を読むたびに感想を言わされたんですが、それも私の身になっていると思います。文庫は手の中に収まるので、すごく自分に近い気がしたことを憶えています。だから文庫で手にとってもらえることは嬉しいですね。
──私の中では、もはや評伝小説といえば村山さんというイメージです。また書いてほしいです。書きたい人はいませんか。
いつになるか分かりませんが、樋口一葉も面白いなあと思って。自意識の塊なんですよね。それに常にお金に困っていて、でも男の人たちが助けてくれて、みたいな。面白いんですよ。
──書いてみたくなるのは、やはり「面白い女」ですか。
そうですね。その人のことを知りたくて書きたくなるんでしょうね。日本人に限らず、評伝小説はまた書いてみたいです。













