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最初の夫、二番目の夫と時計

ひとの価値観というものは、小さな持ち物ひとつにも滲み出る。

私はなぜだかとくに腕時計に思い入れがあって大切にもしているのだけれど、世の中にはそうでない人ももちろんいる。

最初の夫は倹約家だった。結婚して初めてのクリスマスに、何か思い出に残るものをと張りきった私が、自分のそれまでの貯金から捻出して三万円のダイバーズウォッチを贈ったところ、彼は箱を開けるなり暗い顔をして言った。

「なんでこういう無駄遣いをするかな」

時計なら一つ持っているし、黒い文字盤もあまり好みではないと言われ、結局それは翌日、買った店へ持っていって返品することとなった。

当時はとてつもなく悲しかった。物書きになってからもしばらくの間は、数百円のグラス一つ、タオル一枚新調しても、「コップならある」「タオルはまだ充分使える」と叱られる日々だった。

とはいえ、おかげで私は、浪費家だった母からは学べなかった経済観念というものを少しは身につけられたように思うし、彼のほうも少しずつ、時々は愉しみのためにお金を遣うことを覚えていった。何より、かつての房総鴨川での農場暮らしは、彼が金銭面においてしっかりしていたからこそ成り立っていたのは間違いない。

二番目の夫は、最初のうちはそれほど自堕落ではなかったはずなのだけれど、一緒に暮らすようになってからみるみる歯止めを無くしていった。私の悪い癖なのだ。自分に自信がないばかりに、付き合う男性には身の丈を越えて貢ぎ、見たくないことから目をそむけ、結果として相手を駄目にしてしまう。

3万円のダイバーウォッチ、ロレックス、BABY-G、SEIKO。作家・村山由佳を通り過ぎた男たちと時計の思い出_1
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付き合い始めた頃の彼は、腕時計なんて邪魔なだけだ、いま何時か知りたければ携帯を見ると言っていた。それがあっという間にブランドにこだわるようになり、通っているバーの常連客と持ち物で張り合うようになり、数年経っていざ離婚する段になると、こちらの贈った幾つかの腕時計を前にモソモソと呟いた。

「こういうのは、持っていくかどうか迷うんだよね。換金できるものだけに」

世の中にはそんな判断基準があるのかと、ぽかんとしてしまったのを覚えている。

そしてこれも私の悪い癖で、土壇場になるとつい見栄を張ってしまうのだった。

「贈った以上はあなたのものなんだから持っていけば?」

正直に言うと、後から何度も思い出しては歯ぎしりをした。ロレックスやブライトリングやパネライ。よけいなプライドなんか発動させず、「全部そこに置いていけ」と言えばよかった。そうすれば、いの一番に「換金」できたものを。

時々そんな具合に、見栄や意地があだになる。

でも、その二つの持ち合わせがなかったなら、あのどうしようもなくしんどい日々を乗り越えることもできなかったのだ。彼の置き土産みたいな負の遺産によっていよいよ疲れ果て、もういっそのこと全部終わらせてしまったら楽かも……などと夢想しかけた時だって、危ういところでこちら側に踏みとどまることができたのは、反動のようにこみ上げてくる見栄と意地とそして、ずっとそばにいてくれたもみじのおかげだった。