ヒロトは天然の天才ではなく試行錯誤の努力型

88年2月12日。武道館、1階席の前から5列目に僕はいた。開演前にアリーナには着ぐるみ数体が客席の間を歩き回っていた。「まさかあの中にヒロトやマーシーが?」と邪推した。もちろん違った。

ライブはずっと踊りまくり歌いまくり汗びっしょり。爆発的な熱。この1年半前にBOØWYが初の武道館で氷室京介の名言「ライブハウス武道館へようこそ」があったが、真に体現化したのはブルーハーツではなかったか。

特筆したいのはこの夜、「チェルノブイリ」が演奏されたことだ(現代ではチョルノービリと呼ぶ)。原発事故があったのはこの2年前。

まあるい地球は誰のもの? 砕けちる波は誰のもの? 吹きつける風は誰のもの? 美しい朝は誰のもの? チェルノブイリには チェルノブイリには チェルノブイリには行きたくねぇ

作詞作曲を担当したマーシーはどんな思いで書いたのだろう。それにしても意味を取り違えるバカがいそうで怖い。

音楽の聖地とも呼ばれる日本武道館
音楽の聖地とも呼ばれる日本武道館

そして翌88年、「TRAIN-TRAIN」がTBSのドラマに起用され、お茶の間ブレイクを果たす。まさに一目散に階段を駆け上がっていった。

しかし僕はこの頃にはもう飽きていた。パンク発祥の地イギリスでもピストルズがアルバム1枚で解散したように、パンクは瞬間芸に近いものがある。アメリカでもっとも評価されているイギリスのパンクバンドはクラッシュだが、一本調子にならないよう、途中からレゲエやダブを導入した彼らでさえアルバム6枚で解散している。

ブルーハーツも徐々に失速は隠せず、95年に解散した。原因のひとつとして挙げられるのが、ベーシスト河口純之介の幸福の科学への入信だ。

余談だがヒロトの出身校、岡山大学教育学部附属中学校の同級生は水道橋博士とオウム真理教の中川智正死刑囚。中川はともかく、博士とヒロトはラジオで共演したことがある。

そこでヒロトは中学生のときラジオから流れるマンフレッド・マンの「ドゥ・ワー・ディディ・ディディ」を聴いて、畳を掻きむしりながら嗚咽を漏らしたと語っていた。ヒロトのロックの目覚めだ。ご存知の方も多いだろうがヒロトはブルーハーツ以前にもバンドを組んでいたが成功しなかった。

マーシーと出会ったのは21歳。つまり最初から「天才」ではなかったのだ。試行錯誤の末にブルーハーツを発明した努力型。あまりにヒロトが天然に見えるので誤解しがちだが神棚に祀ってはいけない。甲本浩人は悪戦苦闘の果てに「甲本ヒロト」を獲得したのだ。