「悲しみの果て」「今育の月のように」で遂にプレイク
渋谷陽一のインタビューで「(売れなくても)玉砕する」と宣言していたものの、エビックレコードから契約を切られて尻に火が付いた。
96年「悲しみの果て」、続けて「今育の月のように」で遂にプレイク。遠回りをしたが本来の才能を発揮し、報われた。けれども絶頂は長続きせず低迷期の後、再ブレイクして現代に至る(思いっきり掻い摘みました)。
一度落ち目になったら二度と這い上がれない人気稼業で、宮本は少なくとも2回地獄を見て、その度もがき、試行錯誤し、直球の戦略と不屈のバイタリティーにより再起。メンバーも誰ひとり欠けていない。ソロ活動でも日本屈指のシンガーに上り詰めた。
並の精神力だったらとっくに挫けているところを何度でも蘇る。日本ポップミュージック史上、こんな人はふたりといない。
名曲「俺たちの明日」で「10代 増しみと愛入り交じった目で世間を罵り 20代 悲しみを知って目を背けたくって町を彷徨い歩き」と宮本が振り返った。
彼に会う機会があったら訊ねたいと思った。誰もが空気を読んで爪弾きにならないよう上手く立ち回ることが美徳とされる世界に、あなたは遅れて生まれてきた政治青年であり、時代錯誤の文学青年でした。あの頃のあなたが、男らしさと口ずさみやすいメロディーと人生応援歌を歌うあなたを見たらどう思ったでしょうか。社会的名声を得たにもかかわらず、客席を睨み付けるあなたの眼光が緩むことがないのはなぜなのか。そしてあの頃、あなたはどうしてあんなに苛立っていたのでしょうか。
何のかんのと僕はエレカシを付かず離れず追い続けている。ぱっと思い出せるだけでも武道館3000席、サニーデイ・サービスとの対バン、渋谷HMVの握手会、野音、夏フェスなど、数年に一回の割合で定点観調。伝説のライブを見逃した大きな後悔を埋めたいのかもしれない。
僕はライブを最初から最後まで座って観たい年齢になった。だけど宮本は割れた腹筋を披露してステージの端から端まで走り続けている。とりあえず、宮本が元気だと僕も嬉しい。
#2に続く
文/樋口毅宏













