根が暗いからしゃべり続ける
──幼い頃、ご家庭では現在のようにおしゃべりをしなかったと伺いました。
古舘伊知郎(以下同) 無口な少年でした。両親と姉が非常にしゃべる人たちで、ずっと「伊知郎は無口な子」だと言われて育ってきたんです。そのキャラクターを押し付けられてきたとも言えるし、僕自身、そう信じてきました。
──どこでしゃべりの才能が開花したのでしょうか。
潜在的には、「僕もしゃべれる、しゃべりたい」という欲があったと思います。家庭内で無口なキャラクターを押し付けられたことに対する反発もあったでしょう。
転機は、高校生のときです。クラスでプロレスの真似事が流行していたんです。同級生同士でプロレスラー役を決めて取っ組み合って、ギャラリーもいて盛り上がるような、ちょっとした休み時間のイベントでした。
僕は、実況中継のアナウンサー役をやることになったんです。するとクラスメイトから、「古舘、お前しゃべるのうまいな」と驚かれて。その瞬間、背中が渦を巻くような感覚がありました。自分はずっと、こう言われるのを待っていたような気さえしました。
それまで、家庭の中では“無口な伊知郎”だったけれど、本当は「うまくしゃべりたい」「アピールしたい」という気持ちを培養していたのだと思います。
──本書は「煩悩」がテーマですが、古舘さんは「人生を楽しもうとする欲」が圧倒的だと感じました。
軽妙洒脱に「人生を楽しもう」という域にはまだ達することができていないと感じるんです。どちらかといえば、「人生を楽しまなければならない」と脅迫的に思っているというか。
僕がしゃべり続けるのも、極論、根が暗いからなんですよ。黙って暗くしていると、無口な少年時代に戻されてしまいそうな気がするから。
だから、人といるときはなるべく自分が楽しんで、周りの人も楽しませようとするのだと思います。ひとりで黙っていると、「人間は生まれ落ちたその瞬間から死に向かっているなぁ」とか考えてしまいますから。
──根暗なのに、周囲を楽しませたい……?
僕なんかがおこがましいけれど、“本物のエセ釈迦”でいたいと思っているんです。釈迦が悟りを開いて、人生に困っている人たちに教えを説いて慈悲を与えたように、そんな大層なことはできなくても、自分が楽しんで周囲も喜んでくれたらいいなと思っています。













