弱いものは弱いものとして頑張ればいい
──先の二作品はわたしたちに倫理的問題を突きつけてくるので、ほんとうは笑ってはいけないはずなのに、つい笑ってしまいます。
いえ、笑ってください(笑)。
──「世紀の善人」もそういう短編ですね。昭和の体質そのままの大企業、三國造船に勤める女性の安井は、そこで働く無数のおじさんたちに、ハラスメント全開で理不尽にこき使われています。彼女はおじさんたちを密かに社名をもじって〝サンゾウ〟と呼んでいますが、限界が近づき、会社を辞めようかと考えている。どんなところからこの小説が生まれたのでしょうか。
大なり少なり会社で働いていると、年齢や性別にかかわらず、どうしても合わないとか、ハラスメントめいたことをしてくる人がいます。でも一緒に働かなければいけない。そこで思いついたのが、ハラスメントのゲーム化です。
──ゲーム化?
相手を熟知していたら、ハラスメントをしてきても「ほらね、やっぱり」となっておもしろいんです。相手が予想通りの反応を示すのがおもしろい。そういう処世術が好きなので書いてみたいなと。
──自衛のためには敵を知る、ということでしょうか。
そうです。たとえば職場に苦手なおじさんがいたとします。誰かに「きょうあのおじさんがいないね。いつもの車がないし」と話しかけられると「あの人、車を車検に出しているから、あそこに停めてあるのは代車なんですよ」と、なぜか私が知っている(笑)。あの人は毎日三時過ぎに廊下を通るとか、カップラーメンのお湯をいつもあそこで何時に入れているとか、苦手だからむしろ詳しく把握しておきたい。そうすると知りすぎて逆にファンみたいになる。それがゲームのように感じられるんです。
──小説の中でも、社員のメンタルヘルスをチェックする組合の方針から、安井はサンゾウたちを観察し始めます。するとだんだん生態に詳しくなって、彼らが自然界に生息する希少な特殊生物のように思えてくるんですよね。
以前会社の先輩に「苦手な人ほどたくさん話しかけろ」と言われて、すごくいい考え方だなと思いました。だから職場では苦手な人にこそいっぱい話しかけます。そうするとだんだんかわいく思えてくるから不思議です。
──安井はそうやってサンゾウにいじめられても、観察研究を続けて記録していきます。
サンゾウたちを「ああいう生き物だから」とシャーレで観察するみたいにとらえていくと、だんだんかわいく見えてくる。そうやってゲーム化して生き残ろうとします。そういう人間のタフさ、したたかさを書きたかったんです。
──そんな安井ですが、同じ組合の執行委員であり、専務からひどいハラスメントを受けている田中が、ある細工をしている現場を偶然見てしまいます。自分にはできないと思っているハラスメントへの直接的な反撃を、田中がしているのを見て、彼女はどう思ったのでしょうか。
安井がやっているのは、言ってしまえば評論家のように外からただ文句を言っているだけです。田中の行動を見て、自分はほんとうはサンゾウが憎いんだという怒りを思い出すイメージで書きました。ハラスメントをしてくる相手に「不快だからやめてほしい」と直接言うのは、陰でああだこうだと言うよりもはるかにやさしいし、愛を感じます。
──最終的に安井はとんでもない事態に巻き込まれてしまうわけですが、彼女たち弱者の行動は、ハラスメントが横行する社会に対してのカウンターとも受け取れそうです。
書いている身としては、全くそういう気持ちはありません。職場は自然界やジャングルと同じで、食う側と食われる側がいる食物連鎖の世界だと思っています。その弱肉強食のシビアな自然界では、弱いものはびくびくしながら生きるしかない。でもそれでいいんです。怖い怖いと言いながら強者の動きを観察して、自分を守る対策をする。弱いものは弱いものなりに頑張る姿を描きたかったんです。
──弱いものが会社で生き残るための、ある種のサバイバル術みたいです。石田さんは職場であまりストレスを感じることはないのでしょうか。
二十代の頃は職場のおじさんたちに苦手意識があったのですが、三十代になるとおもしれえな、かわいいなと思えるようになりました。会社には三十年、四十年と勤めている人がたくさんいて、ずっと同じ部署で働いている人もいます。そういう人は、得意先の新人よりもその会社の備品置き場まで知っていて。何でも知りすぎているのがおかしいんです。
人間のもっとも浅はかな部分を書きたい
──石田さんはこれまでも、ルッキズムやハラスメントの問題とつながるような作品を書かれています。とはいえ、社会に物申してやろうというような強い気持ちはないと以前おっしゃっていました。
なぜそういうことをよく書いているのか、自分でもわかりません。小説によくある青春や恋愛や家族にはあまり興味がわかなくて。壮大なテーマよりも、身近なことになってしまいます。
──本書をはじめ、見ることや見られること、外見についての欺瞞や暴力性が小説の軸になっているのは、書き手としてそこに惹かれるものがあるんですか?
人間のいいところよりも悪いところを書きたい気持ちが強いんです。見た目のあれこれに言及すると、人間の噓っぽさや卑しいところを書けるからかなと思います。問題意識や社会を変えたいというような、壮大なものはなくて、ただ人間の大したことなさやしょうもなさを表現する上で、書きやすいのがこのテーマなのかなという気がします。
──どうして人間の悪いところを書きたいのでしょうか。
理由はよくわからないのですが、やはり人間は悪いやつだと思っているからかもしれません。
──悪いところを書いていても、あちこちにユーモアがちりばめられているので、クスッと笑いが漏れます。
ずっと真剣な文章を書いているとハッと我に返るときがあって、シリアスになりすぎないように加減することがあります。ユーモアで笑わせよう、楽しませようというよりも、それがいちばん意地悪に表現できるから書いているのかもしれません(笑)。













