波風立てずに生きる器用さを、
ちょっと残念だなと感じる大人に読んでほしい

波風立てずに生きる器用さを、ちょっと残念だなと感じる大人に読んでほしい『情熱』桜木紫乃 インタビュー_1
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大人の情熱と分別の物語

── 『情熱』を面白く拝読しました。読者は、〈情熱〉というタイトルの字面から、おそらく何かに熱中している人や熱い思いを持つ人の物語を想像して手に取るだろうと思います。私も、読む前はそんな印象がありました。ですが、読み終わってみると、激情や熱血といったパワフルな熱ではなく、もう少し抑えた、ちろちろと燃える熾火のようなイメージが浮かびました。

 それはおっしゃる通りというか、ナイスです(笑)。収録作を書いた時期とも関係があるのかな。どれも、五十代の最後の三年間に書いた短編なんですね。実は、五十歳からの十年間、ずっと気にし続けていた言葉があるんです。

── 五十代の間、ずっと心の片隅にあった言葉ですか。なんだかすごい。

 五十歳の誕生日に、花村萬月さんからバースデーメッセージをいただいたんです。花村さんとのやりとりはいまだにmixi(ミクシィ)なんですよ、いいでしょう。何が書かれていたかというと、「桜木、誕生日おめでとう。女のもの書きは五十代にいいものを残すから。あと、おまえには本物の中庸があるから。自分の資質に心を配って書いていきなさい」。〈本物の中庸〉も〈自分の資質に心を配って〉もよくわからないまま、けれど「五十代のうちに何か残さなきゃ」と、そればかり考えていましたね。

── 本物の中庸がある。それが桜木さんの作家としての資質だ、というメッセージはすごい祝福ではありますが……。

 いやもう呪いかもしれない。記憶力の悪い私が空で言えるんだから、その言葉によほど囚われていたのだと思います。いいものを残したかどうかは自分ではわからないけれど、十年、精いっぱい走ってきました。作品一本一本、自分に課した負荷をちゃんとクリアしているかどうかをいつも気にしていました。自分との約束だから、これは破るわけにいかない。破れない。そのあたりは、担当してくれている編集者のほうがわかってくれているかもしれないですね。いつも全力で書くけれど、私のメーターは百までだから、踏み込んで百が出ていれば、いっぱいいっぱい。でもときどき編集者のひと言で、百二十の力が出ることがあるんです。そういうときは本当にうれしい。自分の力だけで書いているんじゃないなあと思えた十年でもあったかな。

── そして十年かけてたどり着いたのが、本書で描いた、突っ走るだけではない〈情熱〉の形なんですね。

 読み返しているうちに気づいたんですね。ああこれは、情熱と分別ふんべつの話だったなと。情熱に分別を寄り添わせることができる芸当は大人になってしまった証しでもある。分別で蓋をしているわけではなくて、けれど波風立てずにバランスを保ちながら生きることもできる年代なのだということで、それは単純に「いい、悪い」と判断できないけれど、その器用さをちょっと残念だなと感じるような人に読んでほしい。そんな気がします。