前代未聞の筋トレ文学とされる『我が友、スミス』。著者の石田夏穂さんが最も会いたかったお相手は、現役ボディビルダーとしても活躍する、お笑いタレントのなかやまきんに君さん。
アメリカでのリアルな体験談と鍛え上げた筋肉、そしておなじみのポーズで、明るい元気をいただきます。
構成/畠山里子 撮影/井手野下貴弘 (2022年3月23日 神保町にて収録)
筋トレ経験者はタイトルにピンとくる
石田 本日はお会いできて大変光栄です。なかやまさんには作品への推薦コメントもいただいて、その節は誠にありがとうございました。
なかやま いえいえ、こちらこそ対談に呼んでいただいてありがとうございます。小説は普段あまり読まなくて、『我が友、スミス』は最初から最後まで読んだ初めての小説かもしれません。筋トレ系の話だったので入り込みやすかったですし、ところどころで「なるほどな」と思いながら読み進められました。
石田 筋トレ未経験の方から「作品を読んでスミス・マシンを初めて知りました」とはよく言われますが、筋トレ経験者の方から「スミス・マシンのことだったんですね」と言っていただけるのは、すごく嬉しいです。
なかやま 僕が言うのは恐れ多いことですが、『我が友、スミス』というタイトルが面白いですよね。普通の方は人の名前かと思うんでしょうけれど、筋トレ経験者は「もしかしてスミス・マシンのこと?」と思いつつ、読めば「ああ、やっぱりそうか」となりますから。
石田 このタイトルは、最初、少し滑ってるかなと思ったりしたのですが、なかやまさんのように気づいてくださる方がいて本当に良かったです。
原点はボディビルだと気づく
石田 それではさっそくですが、いくつか質問をさせてください。まずはもう1年ほど前になりますが、第29回東京ノービスボディビル選手権大会のミスター75kg超級での優勝、おめでとうございます。私はライブ中継で観戦していて、なかやまさんの優勝が決まった瞬間、遠景でしたけれど嬉しさが画面越しに伝わってきました。
なかやま ありがとうございます。
石田 なかやまさんがボディビルの大会に出場なさったのは2015年からで、比較的最近のことですよね。そもそもボディビルの大会には若い時から出たいと思っていたのでしょうか。そうだとしたら2015年からの出場となった理由を教えてください。
なかやま 僕がトレーニングを始めたのは高校3年の時です。部活を引退して運動不足になりたくないと思い、自宅から自転車で30分かけて通うようになったジムが、たまたまボディビルのマニアックなジムだったんです。
当時は筋肉に憧れはあってもジムで鍛える人はまだ多くなかった時代。当時のボディビルチャンピオンの迫力あるポスターが壁に貼ってあるのを見て「こういう感じにはなりたくないな」と最初は思っていたぐらいです(笑)。でも、ジムに通ってベンチプレスの重さが上がるようになってくると、ボディビルが格好いいものだと思うようになりました。そのあとに吉本興業に入るのですが、同時に大阪のボディビルの老舗のジムでアルバイトもしていて、ジム内の大会には出たりしていたんです。
石田 そうなんですね。けっこう前から大会には出場していたと。
なかやま それが初めて出場した大会で、二十歳ぐらいです。ただ、そのまま大会に出続けたい気持ちがある一方で、芸人として名前を売らないといけない焦りもある。そうしたらTBSの『スポーツマンNo.1決定戦』という番組から声が掛かったんです。番組では、走ることや持久力、腕立て伏せなどがメインで、そのうち『SASUKE』という番組にも出演するようになりました。当時はボディビルのトレーニングは継続してはいましたが、芸人の仕事が多忙になったことで大会には出ていませんでした。
石田 では『SASUKE』が一段落してボディビルの大会に挑戦できたタイミングが、2015年だったというわけですね。
なかやま はい。『IRON MAN』や『月刊ボディビルディング』といった専門誌は読んでいましたし、先輩の大会を見に行ってもいて、ボディビル競技に対する憧れはずっとありました。体力勝負の番組も徐々に増えて普通の芸人も走るようになると、僕がやりたいのはこれなのだろうかという気持ちも芽生えてきて。アメリカ修行から帰ってきて、原点に戻ろうと思った時に、やっぱりボディビルだと確信したんです。なので、2012年ぐらいから大会に向けて徐々に筋肉を増やすようにして、満を持して出場したのが2015年の大会です。