大滝詠一の遺伝子を受け継いだ『大阪ストラット』
実はウルフルズはこの曲の前にも、セカンド・アルバム『すっとばす』で、大滝詠一の『びんぼう'94』というニューオーリンズ・ファンクをカバーしている。
それは伊藤銀次が全面にプロデュースに関わって収録されたが、元歌にはなかった3番の歌詞を大滝詠一が新しく書き加えていた。
1992年に東芝EMIからデビューしたウルフルズは、セールスが振るわなくて契約が切られそうになったことがある。その時に宣伝スタッフの一人が、後に担当ディレクターになる制作部の子安次郎に、「素晴らしいバンドだから聞いてほしい」と直訴した。
子安はライブを見に行って、トータス松本の歌い方や体を硬直させる仕草などから、『ナイアガラ音頭』を歌った布谷文夫を思い出したという。
そこで大滝詠一と師弟関係にある伊藤銀次に、プロデュースを依頼したのだ。
伊藤銀次は「このバンドは“勝手にシンドバット”で出てきた頃のサザンオールスターズや、RCサクセションの後継者を目指すべきだと思った」という。
だから「いい曲だねなんていうレベルの曲ではダメ」で、ヴォーカルのトータス松本の魅力が活きるインパクトのある曲が欲しかった。
アルバム『すっとばす』を制作するにあたってはインパクトのある楽曲だけに絞ったので、収録曲は8曲と少なかったが、濃密な内容になってウルフルズの可能性が広がった。
そのなかで『びんぼう』をカバーしたのは子安から出たアイデアで、伊藤銀次には大きなプレッシャーだったそうだ。
大滝さんの曲を僕がアレンジするわけですから、ものすごいプレッシャーですよ。どうするか悩みましたけど、原曲のクールでかっこいい感じをガラッと変えて、「トータスをレニー・クラヴィッツにしてしまえ」と思って(笑)。出来上がってから大滝さんに感想を訊いたら、「俺のよりかっこいいよ」と言ってくれて、うれしかったですね。
『すっとばす』は宣伝スタッフからも評判が良く、セールスも上向きになってきたので、連続してマキシ・シングルを出そうと、前向きなアイデアが出てきた。
その時に子安が再び出したアイデアが『福生ストラット』のカバーで、伊藤銀次が大滝詠一に相談すると、「銀次、ウルフルズはごまのはえだ。これは弔い合戦だ。頑張れ」と励まされた。
そのおかげで思い切ったプロデュースができたことによって、歌詞を大阪のものに固有名詞を差し替えたばかりか、コント仕立てのラップを加えるなど大胆なアレンジで成功したのである。
『大阪ストラット(PART2)』は、トータス松本の強力な個性が発揮されて、大阪テイストに満ちたPVの効果も大きく、ウルフルズの名を一気に全国区にしたのである。
1995年5月24日発売の『大阪ストラット』に続いて、7月に『SUN SUN SUN'95』が発売になった。
そして3枚連続シングルの最後、12月に発売された『ガッツだぜ!!』で、ウルフルズは遂にブレイクしたのだった。
文/佐藤剛 編集/TAP the POP
参考・引用
『伊藤銀次 自伝 MY LIFE, POP LIFE』(シンコーミュージック)














