ウルフルズによって再発見された『福生ストラット』
1975年5月30日にセカンド・アルバム『NIAGARA MOON(ナイアガラ・ムーン)』をリリースした頃の大滝詠一は、『びんぼう』『福生ストラット』といったリズミックでファンキーな日本語の楽曲に挑んでいた。
デビュー前の山下達郎らとともに、ニューオーリンズ音楽を研究し尽くすという、誰もやったことのない試みに没頭していたのは、1973年に、はっぴいえんどでアメリカ録音を体験した影響からだった。その結果、ニューオーリンズ・ファンクの傑作が誕生したといえる。
『NIAGARA MOON』に収録された『福生ストラット(パートⅡ)』の歌詞は、通常の歌の概念を越えてなんとも短いものだった。
これだけの歌詞を繰り返しながら最後に転調のパートが出てくると、そこからは青梅線の「中神」「昭島」「拝島」「牛浜」と駅名が続いて、最後は「福生」で締める。銀座や新宿などの東京ソングに比べるときわめて地味ではあるが、貴重な“西東京ソング”になっていた。
大滝の薫陶を受けたギタリストの伊藤銀次は、ニューオーリンズ音楽の方向に目を向けたことについて、このように述べている。
僕ははっぴいえんどの頃からずっと大滝さんの曲が好きで、最初のソロ・アルバムも大好きだったし、大滝さんって歌の人だとずっと思ってたんです。ところが実際に会ってみるとリズム・アレンジがすごくて。
ちなみに『FUSSA STRUT Part-I』は、1976年3月に発売されたアルバム『NIAGARA TRIANGLE Vol.1 (ナイアガラ・トライアングル)』に収録されている。
これは、ナイアガラ・レーベルに所属した山下達郎(シュガー・ベイブ)、伊藤銀次(ごまのはえ~ココナツ・バンク)、そして大滝詠一がそれぞれ楽曲を持ち寄った企画アルバムだ。
しかし、『NIAGARA MOON』も『NIAGARA TRIANGLE Vol.1』も商業的には大ヒットに至らず、『福生ストラット』は知る人ぞ知る傑作という扱いであった。
『福生ストラット』が広く知られるようになったのは1981年以降で、アルバム『A LONG VACATION』(ア・ロング・バケイション)がブレイクして、大滝詠一が脚光を浴びて旧作が評価された後からのこと。
その後、ウルフルズが『大阪ストラット』というタイトルでカバーし、1995年にシングルがリリースされたことで、全国的に広まった。
ただし、そのカバーは歌詞を福生から大阪に置き換えただけでなく、ウルフルズらしい破調の大阪賛歌に仕立てあげてラップも入る大作になっていたので、原曲が大滝詠一のものだと気づかない人も多かった。














