「文科省はもう強く指導できない」の意味

21日、文科省において田中敏大臣官房審議官が、Jリーグ羽生事務局長を呼び、事情説明を受けた。文科省が問題視して動くということは異例のことであった。

鬼武チェアマンが「当事者間では解決済み」と言うのに対し、田中審議官は「違反であったかどうかにはいろいろな意見がある」という見解を示している。これもまた事態を看過できないと見た文科省の踏み込んだ発言であった。

監督官庁である文科省で行なわれた聴取の結果、JリーグはまずFIFAの懲罰委員会に裁定を求めて、それでも解決がされず我那覇か所属クラブの川崎が提訴を望むのならば、スポーツ仲裁裁判所(CAS 本部スイス)裁定には応じるという意向を示した。

先述したように、FIFAは各国のドーピングを裁く機関ではないから、ここで結論が出るはずがない。実際にはFIFAが裁くことはないのだが、一選手がFIFAの懲罰委員会にかけると言われればまず怯む。さらに、FIFAで解決されなければCASなら受諾するという。高額な費用がかかり、英語で闘わなくてはならないCASに提訴するというのは、途方もなく高い壁である。

JSAAもCASも提訴期限はすでに過ぎているが、紛争の当事者の両者が合意するなら仲裁は可能であった。しかし、この意向は平たく言えば、「JSAAでは応じないが、フロンターレか我那覇がCASまで持って行くのであればJリーグは仲裁を受ける」ということである。

文科省のここまでが限界だった。フロンターレはもう動かない。5万円で申し立てでき、日本語が使える国内のJSAAとは異なり、提訴の費用だけでも軽く1000万円を超えると思われるスイスの裁判所にまで、我那覇個人がたったひとりで事案を上げるというのはあまりに現実味のない、困難なことであった。チームドクターたちも、我那覇がCASにまで行くとはとても思えなかった。

シーズンはまだ終わっていない。JSAAという選択肢を消されて我那覇は苦悩する。「サッカー選手はサッカーに集中すべきではないか」「CASに行くとしたら莫(ばく)大(だい)な仲裁費用と弁護士費用を自分ひとりで払い切れるだろうか」「行くにしてもサポーターやファンは自分の行動を分かってくれるだろうか」

我那覇は、ただ降りかかってくる火の粉を払いたいだけであった。振り払うにあたり誰かが悪いとか、誰かと闘うということではなく、一貫してリーグの良心を信じて我慢強く対応してきた。

もともとJリーグを信じて任せておけば、どの選手も受けている普通の治療だった事が必ず証明されると思っていた。ところがそうはならず、ドクターたちとリーグとの協議の推移も信じて見守り続けたが、真実には辿り着かなかった。

結局、降りかかった火の粉は、誤って降りかけた人が回収するのではなく、我那覇自らが、自分と後藤ドクターの分まで振り払うしかなくなってしまった。当時の我那覇がとても悲しく孤独な気持ちだったことは想像するに難くない。