さまぁ~ずと松本人志

――お笑いからの影響は、いまでも実感していますか?

蓮見 創作活動の原点になってるのは間違いないですね。それこそ、さまぁ~ずさんの単独ライブって、昔からエキストラをバンバン入れるんですよ。自分がコントつくるときに舞台上をにぎやかにしたくなる感じとか、影響受けてるのかなって思ったりしますね。

それもあって、自分でつくるようになってしばらくはライブ自体あんまり観ないようにしてました。やっぱりどうしても似ちゃうだろうから。いまはまた純粋にファンとして観に行けるようになったんですけどね。大石さんはどなたから影響を受けてるんですか?

大石 はい。これはすごく迷いながら名前を挙げさせてもらうんですけど、原体験っていう意味でいうと、私は松本人志の笑いですね。

蓮見 ダウンタウン直撃世代ではないですよね?

大石 兄が『ダウンタウンのごっつええ感じ』のDVDを全巻持っていて、それを私も小学生の頃から観てたので。それこそ松本人志の作品から、笑っていいのかわからないけど、でも笑ってしまうっていう、居心地の悪さが肌感覚で伝わってきて衝撃だったんですよね。

でも今こうして名前を挙げて、手放しで面白いっていうのは無理がありますよね。原体験なのは事実だけど、同時に、自分は一体何を笑っていたんだろうと考え込んでもしまう。存在が自分の中に入り込んでいるから、完全に切り離すこともできなくてむずかしいです。

蓮見 なるほどなあ。悩ましいですね。

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――強い影響を受けているだけに、距離感を測りかねているということですよね。では、演劇における「笑い」と、いわゆる「お笑い」の違いはどういうところだと思いますか。

大石 ダウ90000のお客さんは、全員が演劇好きというわけじゃないですよね?

蓮見 むしろお笑い好きの方が多いと思います。『ロマンス』も長いコントだと思って観てた人はいるんじゃないですかね。要所要所で拍手が起こったり、コントライブみたいな笑いが生まれることがあるので。
そういう経験をすると、多くのコント師が目指してる笑いって、実は演劇の場でこそ生まれるんじゃないかと思ったりすることがあって。

大石 どういうことですか?

蓮見 コントには必ず何かしらの設定があるから、演者は設定上の役柄になりきってネタをやるわけですよね。でもお客さんからしたら、舞台上にいるのはどこからどう見てもそのコント師本人なんです。

賞レースなんかとくにそうだけど、芸人がもともと持ってるイメージと外れたことをやると途端にウケないですもん。その点、演劇は目の前の役者じゃなくて、登場人物が言うことやることに対して笑いが起こるじゃないですか。もちろん役者の演技力に左右もされるだろうけど、強いて言えばそこが大きく違う。

――演劇の方が、舞台上の出来事に対しての純粋な笑いが生まれていると。

蓮見 だからダウに関しては、正直それが実現できてなくて。結局、メンバーの個性に合わせて当て書きのようなことをしてるし、お笑い好きのファンたちも観にきてくれてるので。

役者自身のことを知らなくても、やってることが面白いから笑いが起こるっていうのが演劇における笑いの理想ですよね。しかも、演劇はただでさえ笑いが起こりにくい雰囲気で、ハードルも上がってるわけだから。

大石 なるほど。でも今みたいな話って、笑いを重視してるからこその見方っていうか、どうしても笑いの有無をシビアに判定しちゃうけど、演劇って笑い以外の要素もたくさん含まれてるから。むしろ笑いがなくても成立する舞台こそ演劇の豊かさのひとつだ、みたいな見方をする人もいるはずじゃないですか。

蓮見 そりゃあ、当然いますよね。そっか、そういう人たちからすると、僕らは笑いのことしか考えずに、演劇の豊かさを批判してるヤツみたいになっちゃうってことか(笑)。

大石 そうかも(笑)。

蓮見 いや、でもなあ、笑いはあったほうがいいでしょう。あったほうがいいし、締まるとこ締まってないと、ねぇ? それこそ冒頭でも言ったけど、演劇はこの期に及んでお高く止まって偉そうにしてる場合じゃないですよって話じゃないですか。