「役に立つ」教義は信じる
では、オウムの教えを今も信じているのか。オウムでは、「救済」の名のもとに殺人すら正当化していた。歩さんは、オウムの教義について、どう考えているのだろうか。
「今もオウム真理教の教義の中で、信じられるものを信じています。宗教は生きていくなかで自分の心を豊かに、自分の人生を幸せにするもの、道具であると思うわけですよ。だからこそまさに、その道具を使って心穏やかに、自分を幸せにするみたいな感じですよね。悪いと思われることから心を守るというか、幸せを守るみたいな感じですかね」
その具体例として歩さんが挙げたのが、「生き物を殺してはいけない」「盗みを働いてはいけない」といったものだった。仏教の教えにも共通する、ごく当たり前のことをオウムの教えの中から学んだというのだ。
殺人が魂の救済=ポアとされたことについては、歩さんは一部の信者たちの〝拡大解釈〟で、本来のポアは、殺人を肯定するものではないと受け止めていた。「教義として書かれているのは、よりよい死を迎えましょうということだけです。サリン事件に関しては、オウムがホントにやったのであれば、死なせたうえで、死後の世界でいいところに無理やり連れて行くという拡大解釈をして、走ったのではないかとは思いますね」
歩さんにとって、オウム真理教は、仏教にも共通する当たり前のことを教義に含んでいる。社会がオウムのことを、表面的な「テロ集団」という理解を超えて、それなりに深く知れば、「普通の宗教」として信じられる可能性もあったというのだ。だからこそ歩さんは、オウムに対して、加奈さんほどの嫌悪や拒絶がないのだろう。
一方で、そうした教えと矛盾するような凶悪事件とオウムの関わりについては、歩さんは考えることはしない。オウムの教義の中から「役に立ついい部分」を選んで信じるが、地下鉄サリン事件などオウムが関わった凶悪事件からは目を背け続けている。歩さんはそれを「つまみ食い」と言った。それが、歩さんが自分の心を守るためにとった方法だったのだろう。
取材・文/NHK「クローズアップ現代」取材班













