母親に渡している教団の会費

話を少年時代に戻そう。歩さんは、中学を卒業すると、暮らしていた地方都市の商業高校に進学する。しかし、授業はつまらなくて、内容が頭に入ってこない。留年しそうになったこともあった。その代わり、アルバイトに打ちこんだ。働けば働くほど収入が増えることが楽しかったのだ。

高校3年になると、同級生たちは大学への進学を目指す者、就職活動に励む者と分かれたが、歩さんはどちらでもなかった。アルバイトの経験から、就職や進学をしなくても、一人で生きていけると自信を持っていたからだ。当然、教師は「一体、何を考えているんだ」と猛反対したが、歩さんが意思を曲げることはなかった。進路について母親も特に何も言わなかった。

「いたずらっ子の発想ですよね。『やってやろうじゃねぇか』という」

それ以来、歩さんは派遣の仕事などを転々とし、定職には就いていない。それで後悔したことや、生きにくさを感じたこともない。

「その日暮らしの仕事を結果的に自分で選んでいたというか、流されたというか……。たどり着いていたんでしょうね。過去がどうのこうのあったとしても、何の問題もなく生きていけるような場所。たぶん、そこを自分で選んでいた。そこに近づいていったんでしょうね。きっとね」

渋谷の街を歩く歩さん。オウムにいたことを肯定的にとらえる。(画像提供/NHK)
渋谷の街を歩く歩さん。オウムにいたことを肯定的にとらえる。(画像提供/NHK)

さらに歩さんは、これまでの人生で、オウムにいたことを隠したことはないという。聞かれれば答えてきた。

最初に周囲に明かしたのは、中学生のとき。部活の仲間と秘密の暴露大会をした際、「オウムにいたんだぜ」と打ち明けた。そこから深く掘り下げて聞かれることもなく、「おお、マジか」と言われるだけで終わった。

その次に記憶にあるのは、20歳を過ぎた頃。職場の飲み会で、幼い頃の話になったときのことだ。「小学校4年までは学校に通っていなかった」と明かしたところ、その理由を聞かれ、オウムにいたことを話してしまった。それで周囲の反応が変わるといったことはなかった。

しかし、最近は、過去の話をなるべく避けるようにしている。尋ねられても、ボカして答えることにしている。

「話が長くなるのが嫌。ただ理由はそれだけですね。相手が絶対に勘ぐるじゃないけど、何かしら感情が生まれるわけじゃないですか。かわいそうとか、憎しみとか。そうした他人の感情と、付き合うのがとても面倒だなというのがあって。根底にあるのは面倒くさい」

取材を通じて、歩さんは終始淡々としていた。これまでの人生で、オウムにいたことで困難を感じたことはなく、加奈さんのように現世との葛藤で生活が荒れることもなかった。一緒に暮らす母親との関係は、今も良好だ。

母親が後継団体に所属していることについては、「あなたの人生なんだから、好きなように生きたら」と、とがめることはしない。むしろ母親の意向に従って、歩さん自身も、今も所属を続けているくらいだ。

一方で、高校を卒業して以来、教団の道場に足を運ぶことはなくなった。「仕事と遊びでいっぱいいっぱい。余計なものに時間を奪われたくはない」からだという。歩さんの話だけ聞くと、教団には、ただ名前だけ置いていることになる。しかし、会費として毎月1500円、母親に渡している。そこまでして教団に在籍し続けるのはなぜなのか。

「母親がそれで満足するなら、別にいいじゃない?ってことですよ。名前残すくらい、特に何か俺に不利益があるわけでもないですし。それだけです」

何度聞いても答えは同じだった。歩さんは両親の離婚の際、父親ではなく母親を選んだ。本当に「母親が喜ぶなら」という理由だけなのかもしれない。取材の中で歩さんは、自宅に今も置いてあるというオウムの機関誌「マハーヤーナ」を持ってきてくれた。「たまたま家に残っていただけで、捨てることもできたんですけどね」と話し、機関誌に載る麻原彰晃の写真を見て「懐かしい」とつぶやいた。そこには教団や教祖に対する嫌悪や拒絶はまったくなかった。