公明党という組織が持つ「生き残るための知恵」
一方で、公明党という組織が持つ「生き残るための知恵」は、驚くほど高い水準にある。長井氏は、公明党が60年あまりの歴史の中で培ってきた技術を、「あざとい」という言葉を使って表現している。
過去に自民党と協力した多くの政党は、数年のうちに勢いを失い、歴史の表舞台から消えていった。しかし公明党だけは、26年もの間、政権を支え続けてきた。
公明党は、自分たちが単独で一番になることは難しいと冷静に判断した上で、どの党と組めば自分たちの掲げる約束を実現できるかを計算し続けてきたのである。
では、なぜこのリベラル連合は、期待されたほどの成果を出せず、今も迷走しているのだろうか。その答えの一つは、組織の奥深くにある「財布の事情」にある。
政治を運営するには、膨大な資金が必要だ。立憲民主党は、今回の選挙で多くの議席を失い、落選した元議員やその秘書たちを養っていく余裕がなくなっている。
一方で公明党は、独自の強力な基盤を持っている。ここで注目すべきは、公明新聞という存在だ。
公明党には、創価学会の聖教新聞とは別に、政治活動のための公明新聞がある。この新聞を発行する記者や編集者の給料は、公明党が自分たちの資金から出している。
お金に関しては別々で行こうという姿勢
実は、30年前の新進党の時代にも、似たような出来事があった。当時の小沢一郎氏らが率いる大きな政党に衆議院の議員たちは合流したが、参議院の公明党系議員たちは「新党平和」という別の名前を維持して、参議院では一つにならなかった。
その理由は、お金の流れを一つにすることの難しさにあったと、当事者から聞いたことがある。
新進党という大きな財布の中に、公明新聞の発行費用まで組み込んでしまうと、誰がそのお金を出すのかという点などで無理が生じるからだ。結局、政治の基盤となるメディアや資金の出しどころを別に保つことは、組織を守るための知恵でもあった。
今回の中道改革連合においても、公明党はお金に関しては別々で行こうという姿勢を崩していないと言われている。財布が別々であるということは、本当の意味で運命を共にする覚悟が足りないことを意味している。
一見、協力しているように見えても、一番大切な生活の基盤となる資金の部分では、互いに壁を作っているのだ。立憲民主党側には、公明党のこうした慎重な動きや、政治のプロとしての計算を理解できないまま、ただ表面的な協力に期待を寄せている議員が少なくない。













