政府による強制移動で共同体が消えた
田中 だから青木さんの本を読んで、企業が支える脆弱な社会と、共同体で生きてきた盤石な社会とがすごく対照的に見えたんですよね。それでも水俣の人々はどこにも移住することなかったけれど、足尾鉱毒事件(19世紀後半から栃木県と群馬県の渡良瀬川周辺で起きた、日本初の公害事件。足尾銅山の精錬所から出た排煙、鉱毒ガス、鉱毒水などの有害物質が周辺環境を著しく汚染)の起きた栃木の谷中村では、最終的に全部追い出されるんですよ。
ご存じのように当時政治家だった田中正造が中心となって、国と闘うんですが、なかなか進展しない。そして明治政府は谷中にため池を造って、その鉱毒を埋めてしまうという政策に出る。それで村人に出ていけって話になるわけです。
青木 そのあたりは「全村避難」が一時強いられた飯舘村など福島原発周辺の町村と似たところがありますね。
田中 そうですよね。こんなふうに政府によって強制的に移動させられたというのは福島も同じです。谷中の場合は周辺にどんどん移転させられて、最終的には北海道にまで行かされる。でもね、田中正造はわざわざ谷中に移住するんです。自分だけは出ていくまいと、亡くなるまでずっとそこに居座って抵抗を続けるんです。
青木 足尾銅山といえば江戸期は幕府直轄で、明治期になると古河鉱業が経営を担い、古河財閥の礎になったわけですよね。一方で当時は、一般には企業公害などがほとんど認知されていない時代でもあったのではないですか。
田中 そう、足尾鉱毒事件もやはり国を後ろ盾にした、古河鉱業という一社が起こした事件です。おっしゃるように当時は公害なんてみんな知らないから、きっと気がつかないところで他にもああいう事件が起きていたんじゃないでしょうか。この事件の場合は、鮎が大量死したり、木や稲が枯れたりという顕著なサインがあって気がつく。谷中周辺も相当な被害があって、議員だった田中正造が国会に訴えたことではっきりするんです。
たとえ共同体が消えても書いて残す
青木 つい1年ほど前、僕も足尾銅山の跡地は見学しました。記念館などがあって、観光客に坑道の一部が開放されて見学もできましたが、周辺はすっかり寂れて人の気配がほとんどありませんでした。
田中 そうでしょうね。もうどうにもならないですよね。共同体が崩壊しちゃうから。やっぱり人が移動させられるのはそういうことなんです。水俣の場合は漁はできなくなったけれど、水俣という場所は残ったし、障害がある胎児性(水俣病)の方たちもそこにできた施設に住み続けることはできている。
だから、語り部として活動もできる。70年代に運動するつもりで水俣に入った人たちがそのまま残って住み続けるということも起きているんです。やはりその土地にいるから新しい共同体が生まれ、文化が育まれていくんですよ。でも追い出されたとたん、それこそその土壌を奪われてしまうんですね。
青木 水俣と福島と谷中には通底するところもたくさんあるけれど、当然ながら違うところもある。住民たちがその土地に残れれば新たな共同体や文化が生まれ、地元から情報発信も続けられるけれど、谷中はそれが難しかったし、そういう面では福島もまた今後の大きな課題ですね。一時は「全村避難」を強いられた飯舘村も、避難指示が解除されても住民はなかなか戻らず、帰還者も多くが高齢者によって占められているようですから。
田中 でもね、谷中の場合には、人がいなくなって共同体も崩壊したけど、田中正造がたくさん書いて残しているんですよ。「谷中学」という言い方をして、自分は谷中からさまざまなものを学んだと書いている。だから、石牟礼さんも田中正造のことを随分読んでいて、谷中学であり、水俣学なんだとおっしゃっている。継承していくために書き残す。それは極めて大事なことです。青木さんの今回の本は、その役割を果たしていると思いますよ。お書きになって本当によかった。
構成/宮内千和子 撮影/三好祐司














