土地を追われる耐え難さ
田中 そう思います。それを別の視点で見ると、水俣の場合にはそこにいろんな文化が育った。文学では石牟礼道子さんや渡辺京二さん、写真で水俣を世界に伝えたユージン・スミスさんのような人も出てきて、そのほかにもたくさんのカメラマンや写真家たちが入って、ドキュメンタリーや映画も作られてきました。
では、福島はどうだろうかと思っていましたが、なかなかそれが出てこない。その大きな理由は、皆さんがその土地を離れざるを得なかったから。それが今回のお話だと思う。102歳のその方は、最後までそこにいたい、そこで死にたいとお思いになったのでしょうね。
青木 それが最大の理由ではあったでしょう。優子さんが書評で指摘してくださったように、「最後まで村とともに生きるため」に自ら命を絶つ決断を選んでしまったのかもしれません。
一方の僕は、取材者として102歳の古老が自死した事実を知って驚愕しました。白寿も百寿も超えた村一番の長寿者が、足腰もそれなりに壮健で大きな持病もなく、平凡だけれど長閑な里山で家族に囲まれて悠々自適の暮らしを送っていた102歳の老人が、いったいなぜ自ら命を絶たねばならなかったのか。絶つ決断に追い込まれてしまったのか。その真相と文雄さんの百年の人生を追う取材を重ねるうち、先の大戦などを含む、この国の百年近い歴史を追うことになってしまったのが正直なところです。
田中 この事件に大事なものがあるという予感があったのでしょうね。
青木 僕が予感していたというより、むしろ文雄さんと遺族に導かれた、というべきなのかもしれません。そうやって浮かび上がってきたのがまず、村と村人たちが長年に渡って築き上げてきた共同体の生活ぶりです。自死した文雄さん自身、生まれ育った村からほとんど出たことがなく、百年以上の生涯を一貫して村で過ごし、ひたすら田畑を開墾して土を耕し、作物を育てて収穫し、村の土と向き合って暮らしてきました。
とはいえ東北の準高地にある比較的寒冷な村ですから、環境的には厳しく過酷な面もありましたし、そうやって必死に作った収穫物を出荷して懸命に生活を成り立たせてきたわけですが、一方で田畑には多種多様な野菜類が実り、村の山林や里山には季節ごとに山菜やキノコ類が豊かに芽吹く。
そうした収穫物は、村人同士がお裾分けをしたりされたり、互いに助け合いながら暮らしを紡いでいた。僕の田舎の信州などもそうですが、近代的な貨幣経済とは一定の距離を置いた自給自足的な暮らしが残っていました。
しかし、それが原発事故によって奪われてしまった。まさに国策を担った一企業に突如破壊されてしまったわけです。そして政府の指示による「全村避難」が強いられ、村人たちは村から一時完全に姿を消し、村一番の長寿者は自ら命を絶ってしまった。僕は今作のなかで水俣のことは明示的に記していませんが、国策なるものの引き起こした重大な過ちという点で両者は当然通底するものがあると思っています。














