「子どもには難しすぎる」主題歌は会議で全否定
発表会から数日後、高井は虫プロダクションに呼ばれて足を運んだ。そこで手塚から、「ボクの世界を誰よりも知っている高井さんに、あらためてまた主題歌をつくっていただきたいのです」と頼まれたのである。
「翌日の朝9時までに3タイプの主題歌を作ってほしい」という無謀ともいえる要望だったが、高井は意を決して引き受けた。その帰りに電車の中で窓から夜空を見ていると、インパクトのあるイントロが閃いたという。すぐにメロディも浮かんだので、早くもここで1曲が完成した。
高井は約束通り、翌朝には3曲の譜面を持って手塚のもとを訪れた。最初に電車の中で閃いたA案のほか、B案とC案を譜面で渡すと、手塚が自分でピアノを弾いてみて選んだのはA案だった。
ところが朝10時から始まったテレビ局やスポンサー、代理店との打ち合わせの場で、主題歌は手塚以外の全員に反対された。
「子どもにはシンコペーションのリズムは難しすぎる」
「コード進行が子どもにはなじまない」
「子どもが習っている縦笛で吹くことができない」
だが「映像と音楽は対等」というだけあって、手塚の音楽に対するこだわりは生半可なものではなかった。喧々諤々の話し合いを断ち切るように、手塚から最後のひと言が放たれた。
「もしA案がダメなら、ボクはアトムの放映をとりやめます」
こうして主題歌はひとまず決定することになったが、手塚が安易な歌詞で納得するはずもない。ぎりぎりのタイミングでようやく決まったために、当初は歌詞がないインストによるテーマソングが流された。
歌詞がつけられるのはオンエアが始まってからのことで、そのきっかけは、手塚が作詞を頼みたいと思える適任者と、たまたまパーティーの会場で出会ったことだった。手塚が高井にこんな電話をかけてきた。
「昨夜のパーティーで、宇宙とひとり向き合う少年の心を、みずみずしく表現した『二〇億光年の孤独』という詩集と、詩語がとても新鮮な『六十二のソネット』を出している谷川俊太郎さんという方にお会いしたのです。さっそくお話して、主題歌の作詞を依頼しました。電話がありますから、よろしくお願いします」
そして谷川から高井のところに電話があり、メロディをピアノで弾いたテープと譜面を送った。数日後、谷川はできた歌詞を電話で読み上げてくれた。
それを聴いた高井は、一箇所「やさしい心」とあったのを「心やさし」に変えてもらったが、それが最終決定だった。もちろん手塚も満足で、それから歌詞入りのオープニングが流されるようになった。
谷川はそれから約40年後、高井の作品集の前文に、こんなメッセージを寄せている。
私の作詩した歌の中で、こんなに愛された歌は他にありません。〈略〉実を言うと、「ラララ」は窮余の一策でした。ところがカラオケなどで皆が歌うと、思いがけずその「ラララ」が生きるのです。歌は言葉の意味だけではないと学んだことも、アトムの歌からです。
文/佐藤剛 編集/TAP the POP
参考文献『鉄腕アトムの歌が聞こえる~手塚治虫とその時代~』(橋本一郎著/少年画報社)














