「映像と音楽は対等だ」手塚治虫の美学
手塚治虫の漫画『鉄腕アトム』のTVアニメ第1作が、フジテレビをキー局に、関西テレビ、東海テレビ、九州朝日放送、仙台放送、広島放送の6局ネットで始まったのは、1963年1月1日のこと。
オンエアが始まる少し前の11月5日と6日の二日間、東京・銀座のヤマハホールでは、「第1回虫プロダクション作品発表会」が開催された。
そこで上映されたのは、『鉄腕アトム』の第1話のほか、原作者の手塚治虫による台詞のない映像と音だけの実験的なアニメーション作品『ある街角の物語』と、3分間のカラー小品『おす』だった。
当日の会場で配布されたパンフレットには、アニメの将来に賭ける手塚の意気込みと希望が記されていた。
動画映画の製作はテレビの普及とともに、CMなどで盛んになったとはいえ、そのコスト高と製作日数などの関係から、日本ではまだまだ敬遠されている状態です。でも日本には、戦前から数多くのプロダクションがありましたし、技術的にも、決して外国の作品に劣らない力を持っていると信じます。諸先輩方や、同じ道を歩む友人諸氏のご指導や、ご声援にこたえて、微力ながらも、一つの道標を築くことができれば幸いです。
『ある街角の物語』は幻想的な映画詩とでもいうべき作品で、手塚が原案と構成を担当し、私財を投入して製作したフル・カラー38分の意欲作だった。
その作品に、オーケストラを使ったオリジナル曲をつけることになったのは、NHKの学校放送や新宿コマ劇場での舞台音楽などを手がけていた音楽家の高井達雄である。
打ち合わせの時、高井は手塚からこんな意見を言われた。
「ウォルト・ディズニーは映像を補足するのが音楽だというが、自分は映像と音楽は対等だと思う」
手塚はチャイコフスキーやバッハ、モーツァルトなどのレコードの他、自分でピアノを弾いて、音楽のイメージを高井に伝えてきた。高井はそれに応えて、半年以上もの時間をかけてワンシーンごとの譜面を書き、手塚と確認し合いながら、『ある街角の物語』の音楽を丁寧に完成させていった。
非商業的な芸術作品といえる『ある街角の物語』と同時進行で、手塚は国産初の商業的な娯楽作品である『鉄腕アトム』にも取り組んでいた。
これは「少人数のスタッフと低予算であっても、アニメ作品を作ることが出来るはず」として、虫プロダクションの経営を軌道に乗せるために引き受けた仕事だった。
しかし、1月にオンエア開始を目前に控えて、自分がイメージした音楽にならないことで手塚は困っていた。すでに高井に頼んだこともあったが、その時はきっぱりと断られてしまった。『ある街角の物語』の仕上げに全力投球していた高井にしてみれば、それ以外の仕事を引き受けるなど論外だったのだ。
したがってヤマハホールの発表会ではフィルムに音づけが間に合わず、ありもののレコードなどから『ホリデー・イン・ニューヨーク』など、気に入った音楽を録音したテープと音声テープを同時に流して、手塚は急場をしのいだ。














